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ネパール |
次は桂林へ社員旅行 |
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1. 成田 → 香港 → カトマンズ
2. カトマンズ → ポカラ
3. ポカラ → フェディ → ビレタンティ → ヒレ
4. ヒレ → ウレリ → ゴレパニ
5. ゴレパニ → プーンヒル → ビレタンティ → ポカラ
6. ポカラ → カトマンズ
7. カトマンズ → パタン → カトマンズ
8. カトマンズ → 香港
9. 香港 → 成田
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【12/28】
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初日の出をヒマラヤで拝もう・・・
年末年始はネパールでトレッキングすることにしました。
まず成田発9時40分のキャセイパシフィックで香港へ。約4時間のトランジットのあとロイヤルネパール航空410便に乗り換えです。日が落ちてからカトマンズに到着しました。
暗い・・・。国際空港だというのに空港ロビーは薄暗い。さらに外へ出ても一国の首都とは思えない暗さでした。街に灯りが少ないのですが、でもなぜか落ち着くから不思議です。昔の日本の田舎にタイムスリップしたみたい。
紹介されたホテルは高級な部類だったみたいで、シャワーの栓をひねると熱いお湯が出ました。明日以降に備えておとなしく就寝。外で犬が鳴いていました。 |
【12/29】
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9時半の飛行機に間に合うよう空港までタクシーで急ぎました。200ルピー。ボラれたのか普通なのか初日なのでわかりません。約2時間遅れて国内線のプロペラ機は離陸。右側の窓からは雲の上にヒマラヤの白い頂が輝いていました。
カトマンズ空港は何も無い所だと思いましたが、着陸したポカラ空港はさらに何も無い空港です。機内で知り合った人に明日からのトレッキングガイドを紹介してもらいました。ガイドさんは間寛平に似た性格の良さそうな人。ホテルを紹介してもらい、トレッキング許可証の取得も代行してくれました。
紹介してもらった湖近くのシェルパゲストハウスに荷物を置き、ポカラ市内の探検に出かけました。 |
【12/30】
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朝、眼がさめたらヒマラヤが白く輝いていました。ガイドさんは昼に待ち合わせなので、それまでペワ湖でボートに乗ることにしました。
貸ボートは1時間150ルピー。アンナプルナとマチャプチャレが湖面に映り絵葉書そのものの風景です。極楽気分。
予定通り昼に間寛平氏と待ち合わせ。トレッキング出発地であるビレタンティまでバスで行く予定でしたが、山で過ごす時間を少しでも多くしたかったのでタクシーを奮発しました。500ルピー。
タクシーを降りて歩き出そうとすると間寛平氏がリュックを担いでくれるといいます。話を聞けば、最近はネパールに英語ペラペラの白人ガイドが進出しているそうで、ヨーロッパ観光客を奪われないようにするため現地のガイドはポーターも兼ねるようになったとか。おかげで手ぶらで悪いようですが楽して歩かせてもらっちゃいました。
車道から15分ほど川原を歩くとビレタンティの村。ここからは昔の交易路を登っていきます。正面にマチャプチャレの頂が少し近く見えました。
今日は2時間ほど登ったヒレの山小屋まで。外観は粗末(失礼!)な山小屋でしたが、部屋はツインベッド、ぬるいけどお湯の出るシャワー付きでした。夜はさすがに寒いので間寛平氏とイギリスから来たというカップルと皆でロキシー(焼酎)で暖をとりました。 |
【12/31】
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晴れ。朝食はチャパティとティー。
ヒレの山小屋を出発し、高度を上げていきます。ティルケドゥンガの村を過ぎて吊橋を渡ると遥かに続く石段になりました。メモに「地獄の石段」と書き込んだほどの石段です。
途中で出会った子供たちはすごく可愛い笑顔です。大人もナマステとにこにこ挨拶してくれます。辛く長い階段も気が休まりました。馬の列やロバの隊商とすれ違いました。現在でも物資輸送はこの隊商によって行われています。
石段を登ったウレリの村は標高2073m。その後、2500m前後から足をあげるのが辛くなりました。いつもこれぐらいの標高から辛くなります。
14時30分、やっとこゴレパニの村に到着。標高2853m、そびえるタウラギリやアンナプルナの峰々がすぐ近くに見えます。
ムーンライトロッジに宿泊。シャワーは熱い湯が出て嬉しかった。 |
【1/1】
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元旦。
暗いうちから出発し、ロッジ脇よりプーンヒルを目指します。朝から足が上がらず、休み休み登りました。
6時半、3198mの山頂に到着。すでに何十人かの人が集まっていました。見るところ4割くらいが日本人かなぁ。
徐々に東の空が白みはじめ、やがてアンナプルナから陽が昇ってきました。朝焼けのヒマラヤ、ベールを脱ぐかのように雄姿をあらわすタウラギリ(8167m)。見事な初日の出でした。ご満悦。
プーンヒルを下り、ゴレパニのロッジで朝食を摂って9時に下山開始。今日は1日でポカラまで戻る予定です。本当はもっとゆっくりしたスケジュールで楽しみたいのですが、仕方ありません。(泣) 交易路はムスタンやチベットまで遥かに続いています。
ウレリの村で昼食をとることにし、メニューを見てベジタブルヌードルというのを頼んだら日清カレーヌードルが出てきました。おいしかったぁ。
ウレリからの地獄の階段は下りもきつい階段でした。途中で拾った枯れ枝を杖代わりにして下ります。大腿二頭筋が泣きそうになりました。
ビレタンティに16時30分到着。来る時に迎えを頼んでおいたタクシーでポカラへ戻りました。ホテルは家族経営だったので、間寛平氏のほかホテルの家族みんなとビールで打上げをしました。 |
【1/2】
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足が痛いです。
間寛平氏にガイド料1000ルピー(一日250ルピー、計750ルピーの約束でした)を払うとお別れです。ホテルのみんなと記念写真を撮って、空港へ向かいました。間寛平氏が見送りに付いて来てくれたので、空港でお別れのチャイ。3日間も山を歩きながらネパールや日本の生活や一生についてなど、いっぱい話をしたせいか、別れ難いものがあります。眼の奥が熱くなる感じがしました。
ポカラを飛び立ち、カトマンズに到着。タクシーの運ちゃんにホテルを紹介してもらいました。MMインターナショナル、$15を$10に交渉し、部屋に荷物を置いて市内をまわりました。
郵便局を見つけ日本へエアメール、12Rs。寺院に囲まれたダルバールスクエア、賑やかな繁華街のインドラチョーク、チベット仏教の聖地スワヤンブナート・・・。ハッパいらない?コカいらない? いらないよー。
カトマンズの街は埃っぽく、排ガスもうもうでマスクをしている市民が目立ちました。足に加え喉も痛くなっちゃった。 |
【1/3】
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ヒマラヤ歩きからカトマンズへ戻ると、薄暗いという第一印象は逆に、輝く大都会に思えたから不思議です。雑踏、喧騒、バスやオートリキシャの排ガス、ヒマラヤ麓の夢の国で喉をマスクで防御している人が多いとは思いませんでした。
今日はオートリキシャで古都パタンへ。カトマンズの南近郊に位置するパタンは木造仏教寺院が立ち並び、カトマンズとはまた違う雰囲気で落ち着きます。遠い昔の京都か奈良にまぎれこんだような印象を与えてくれました。
カトマンズからの往復はタクシーを利用しました。行きは250Rsと言われ200Rsに値切ったのですが、帰りは40Rsでした。 |
【1/4】
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現代のお伽の国、ネパールともお別れです。
カトマンズを飛び立った飛行機から、チョモランマ(エベレスト)をはじめとするヒマラヤの屋根を間近に見ることが出来ました。
帰りは乗継の関係で香港で一泊。ポカラから戻ってカトマンズが大都会に思えたのですが、香港に降り立つとネオンや夜景の明るさにさらに驚愕です。同時に物価の高さにも驚愕しました。 |
【1/5】
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せっかくなので帰国便を夕方にして、出発まで香港の街を楽しみました。
狭い地域に密集する商店や溢れかえるほどの人並み、天空を目指すかのような高層ビル・・・
別の時間が流れているようなネパールが恋しくなりました。
無事に帰国したものの、喉と足の痛みはしばらく治りませんでした。 |
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