「竜馬がゆく」を訪ねて  伏見
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京都伏見
 伏見の町は、京と大坂をむすぶ乗合船の発着港としてさかえました。
 始発駅伏見京橋の川べりに、六軒の大きな船宿があり、寺田屋はそのひとつでした。

寺田屋
 軒行燈の灯はまだ消されず、
 −旅籠寺田屋
 とほのかに、文字を闇に浮きだしている・・・

 現在も寺田屋前の道は交通量も多く賑わっていますが、濠川越に眺めると当時を彷彿とさせてくれます。

龍馬の部屋

龍馬愛用のピストル
 慶応2年1月、犬縁の仲だった長州と薩摩の提携を実現させた龍馬が伏見に戻って泊まった部屋が残されていました。本当は鳥羽伏見の戦いで焼けてしまったので、今の寺田屋はその後再建されたものですが、当時の雰囲気を伝えています。

おりょうが駆け登った階段
 寺田屋に戻った龍馬を京都奉行所が襲撃します。この「寺田屋事件」の際、入浴中だったおりょうが裸のまま階段を駆け登って二階にいた龍馬に急を知らせました。

薩摩烈士の墓
 寺田屋事件の4年前、寺田屋騒動が起こりました。
 寺田屋で京都襲撃の戦闘準備をととのえていた薩摩藩士有馬新七らと真木和泉ら浪士団が、この風聞をきいて激怒した薩摩藩主島津久光に上意討ちされた事件です。
 寺田屋に近い大黒寺に殉難九烈士の碑が建っていました。

お登勢の墓
 大黒寺の前にある松林院の墓地に寺田屋の女将お登勢の墓があります。
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