「竜馬がゆく」を訪ねて  京都
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高瀬川
 高瀬川は江戸時代初期に角倉了以が物資輸送のために開削した水路。三条通り近くには幾松の住居跡や佐久間象山、武市瑞山の寓居跡などが目白押しです。

あけぼの亭
 お田鶴さまから使いがきて、封書を手渡した。−会いたい−という。指定の刻限は宵八時。ところも、清水産寧坂の料亭「明保野」である。場所がら、なんとなくなまめいている・・・

 「竜馬がゆく」最大のフィクションですね。

酢屋
 三条大橋近くの酢屋。
 龍馬が大政奉還の知らせを聞いたのが、この酢屋の二階だったそうです。

近江屋跡
 大政奉還から半年後の慶応3年11月15日
、現在の河原町通りに面する近江屋の二階で、中岡慎太郎ともに最期をとげました。

 今は碑だけが阪急旅行社の入り口に建っています。
 これだけ歴史的に重要な地なのだから、他の街だったら史跡として整備するとか、もう少しちゃんとするんでしょうが、京都でそんなことをしたら平安時代以降の史跡で街中が占領されてしまうから仕方ないのかな。

土佐藩邸跡
 その夜、危険だから土佐藩邸で過ごすようにと忠告されていたとか。その土佐藩邸跡は近江屋のすぐ近くにあります。
 忠告に従って難を逃れていたら、維新以降の日本は今とどれくらい違う国になっていたのでしょう・・・

龍馬と中岡慎太郎の墓

護国神社墓地
参考:文春文庫「竜馬がゆく」     ▲TOP