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お遍路さんをしていて新居浜の街を歩いていたときに、山から一直線に降りてきている廃線跡が気になっていました。
調べてみると、江戸時代初期に発見され、一時は世界最大の産銅量を誇った別子銅山の鉄道跡だそうです。今回は、石鎚山に登るため愛媛に来たのを利用し、その廃線跡の奥にある別子銅山を訪ねました。
新居浜の市街から国領川に沿って10分ほど遡ると端出場地区に到着します。
ここは1690年に発見され、昭和48年に閉山となったこの銅山の本部のあった地区で、現在では鉄道敷や火薬庫跡などを利用した道の駅「マイントピア別子」になっています。レンガ造りの端出場水力発電所が印象に残りました。
端出場からさらに5kmほど進み、県道と分岐して、すれ違い困難な山道をさらに5km、目指す東平地区に着きました。
ここは大正時代に採鉱本部の置かれた地区で、4000人近い人が働いたり生活していたそうです。駐車場からインクライン跡を下り、石積みの貯鉱庫を見上げると、「住友のインカ帝国」と評されるのもうなずけます。この山のいたるところに坑道が掘られ、さきほどの端出場とも地中で繋がっているのを実感しました。
帰りは同じ道を戻り、マイントピア別子の温泉で汗を流しました。 |
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