アームストロング砲 を訪ねて
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 12月30日、羽田を始発便で飛び立ちました。空港で友人Fくんの車に乗せてもらって市内を西南へ。国道202号を走り、中村学園の先、荒江の交差点を左折すると国道263号です。
 正面には背振山系が立ちはだかっています。
 「歴史を紀行する」のなかの「体制の中の反骨精神」に登場する、旧藩時代からのふるい山越えみちです。
 いまは有料の三瀬トンネルが峠の下を貫いています。国道263号は博多を佐賀を直結しているので、道の広さに比して通行量が多いようですが、旧道は、通る車も少なく、三瀬峠はひっそりとしていました。
 福岡県と佐賀県の県境である三瀬峠。峠の切り通しの西側には石柱が立っていました。
「従是北筑前国、従是南肥前国」

 峠からの下り、佐賀県側は有料道路と合流して快適な道になっていました。
 三瀬村、川上峡を経て佐賀市街地を目指します。
  市内に入って、まず鍋島閑叟(第10代藩主、鍋島直正)を祀る佐嘉神社へ。
「わが国最初の鉄製カノン砲」と説明板に書かれた150ポンドカノン砲がでんと置かれていました。
 ペリー来航に慌てた江戸幕府が閑叟に鋳造を依頼したものを昭和55年に復元したものだそうです。
「元旦0時に駐車場でカノン砲を打ち上げます」と看板が立っていました。轟音にご注意と書いてありましたが、機会があれば体験してみたいです。
 カノン砲とともにアームストロング砲も鎮座していました。こちらは平成2年に復元されたもので、ガラスケースの中。
 鍋島藩が、当時いかに先進的で技術立国であったかが、よくわかります。でも、神門の脇で大砲が2基も砲口を向けているというのには、度肝を抜かれます。
 境内には直正公の偉業を紹介する展示室もあり、蒸気船や蒸気機関車の模型なども展示されていました。
 車を停めたのは、佐賀藩の藩校だった弘道館の前。「改革の担い手となる人材の育成」を目指し、藩主命令で厳しい近代教育が行われたそうです。佐賀藩の頭脳はここから育ったんだなぁ。
 佐賀城本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館に行ってみました。年末のためお休みとわかっていたのですが、外観だけでも、往時の雰囲気は伝わってきました。
 鍋島直正が天保9年に再建した鯱の門は、佐賀城の数少ない当時の建築物です。門を入った石垣に、アームストロング砲が展示されていました。こちらは佐嘉神社と違ってガラスケース無しなので写真に撮りやすかったです。
 市内長瀬町の日新小学校敷地内にある反射炉跡に向かいます。
 小さな看板を頼りに進むと小学校の校門。校庭の脇に幕末期の最先端技術である日本で最初の洋式反射炉跡がありました。
 イギリスによる清への侵略(アヘン戦争)に鍋島直正は危機感を覚え、長崎の警備強化のため自力で大砲を鋳造することにしました。この跡地は市により発掘調査されることが決まったそうで、今後が楽しみです。
 なお、一緒に飾られているはずの24ポンドカノン砲は、「反射炉まつり」と新年の祝砲のため佐嘉神社に運ばれていてお留守でした。
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