赤坂散歩
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 9月17日、新橋から虎ノ門を経由し、赤坂散歩の章を巡ってみました。
 はじめはホテルオークラ近くの澄泉寺へ。首都高の走る六本木通りから桜坂を上り、路地を左に曲がります。ちょうどアークヒルズとホテルオークラに挟まれた区画にいくつかのお寺が集まっていました。
 この一角だけ時が止まったような雰囲気です。
 澄泉寺からオークラの方へ進んだ交差点の角が大倉集古館。昔から中国風の塀が気になっていました。明治時代に豪商大倉喜八郎の屋敷があったところだそうです。中国風なのは、彼の中国趣味によるものではないかと司馬さんは推察しています。
 霊南坂を下りました。振り返ると左がホテルオークラ、右がアメリカ大使館です。テロ対策のため、このあたりは警備が厳しく、ものものしい雰囲気です。霊南坂を落ち着いて散策って雰囲気じゃありませんでした。江戸時代には火消しの御役屋敷だったそうです。
 現在は日本たばこ産業株式会社に名を変えて高層になった本社ビルにあがらせてもらい、溜池交差点と赤坂見附方面を見下ろしました。
 内堀通りと六本木通りが交わり、上空には首都高の環状線。ここが広々とした池だったとは想像もつかない賑やかさです。
 近代的な首相官邸と国会議事堂のすぐわきにある、こんもりとした樹叢が赤坂日枝神社。内堀通りに面した鳥居と異なり、こちら側は日本国のど真ん中にいることを忘れそうな一角です。
 明治の神仏分離までは山王権現です。いまも赤坂山王下とか言うもんなぁ。日枝は比叡のことだそうです。
 赤坂通りから一本裏に入った通りにある数寄屋造りのお店が「砂場赤坂店」  司馬さんの入った蕎麦屋はここかなぁと推察しました。
 日本橋にある室町砂場の支店で、本当の室町砂場はこの2店だけです。
 続いて赤坂とは思えないほど閑静な一角にある赤坂氷川神社へ。
 武蔵国の一ノ宮である大宮の氷川神社を徳川吉宗がこの地に勧請したんだそうです。
 ふたたび赤坂通りに戻って「乃木坂」へ。
 陸橋になっている外苑東通りとの角地が乃木公園と乃木神社。外苑東通り側に乃木邸の門と建物が残っています。
 青山通りにある高橋是清翁記念公園。東宮御所の向かい、カナダ大使館の隣という場所にある樹叢のなかに、是清の像があることは知りませんでした。というより、カナダ大使館を含め高橋是清の邸宅だったんですね。
 二・二六事件で青年将校に殺害されたのもこの邸宅跡です。
 豊川稲荷。
 徳川吉宗の時代、町奉行となった大岡越前守が屋敷神として豊川から江戸に勧請されたと聞きます。
 愛知の豊川稲荷もそうですが、神社と寺院が不可分に混じり合った雰囲気です。
 豊川稲荷から赤坂見附へと坂を下り、弁慶橋へ。プリンスホテルの入口に「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」の石柱が立っています。
 紀州、尾張、井伊で紀尾井町。
 弁慶堀は都市の中でほっとする景観です。
 清水谷公園に保存展示されている水道管の遺構。
 清水谷公園の一角に大久保利通の哀悼碑が建っています。
 初代内務卿だった大久保利通は、西南の役を平定したのち、出勤途上の清水谷で暗殺されました。

 深川、神田、本郷、赤坂と東京都心部を巡ってみると、毎日過ごしていても気付くことのなかった歴史の積み重ねに、新たな感じを覚えました。
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