「峠」河井継之助を訪ねて  只見
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六十里越
 継之助ら長岡藩士は八十里越と呼ばれる山道を越え、会津を目指します。
 車での通行は不可能なので、六十里越と呼ばれる国道252号で只見を目指しました。

国道289号
 八十里越は国道289号として建設工事が進められています。叶津側から行ける所まで進んでみました。

叶津番所
 担架に載せられた継之助の傷は悪化が進み、叶津で逗留。駆けつけた松本良順の診察を受けましたが、壊疽と破傷風により手の施しようがなかったそうです。

五十嵐邸
 松本良順の手当てを受けた五十嵐邸は叶津番所のすぐ裏手にありました。旧五十嵐家住宅として公開されています。

只見線
 国道252号を会津方面に走り、会津蒲生駅を過ぎたトンネルを抜けると雰囲気のいい橋梁が左手に現れました。後で調べたら只見線の撮影ポイントの一つとして有名な場所なのだそうです。

滝湖
 1868年8月16日、会津塩沢の矢沢家で継之助は息をひきとります。最後の場面は「峠」のクライマックスでもあります。
 昭和37年に建設された滝ダムにより村は水の底に沈みました。

河井継之助記念館
 山あいの地で一際目立つ存在の記念館。国道沿いの駐車場から遮断機のない踏切を渡った線路際にあります。

終焉の間
 矢沢家の終焉の間が建物ごと移築されていました。

ガトリング砲
 ガトリング砲は八十里越の山中に埋め隠されたという説もあるそうです。

墓所
 継之助の葬儀は会津城下で営まれましたが、塩沢の人たちは荼毘にふされたあとの小さな骨を拾い集めて、村に墓を立てたのだそうです。
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