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南木曾町妻籠宿 |
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8月11日。前夜の宿は美濃加茂のルートインでした。朝起きて岩村、中津川を経て19号を北上し、妻籠を訪れました。
宿場のなかほどには、敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げた「枡形」がありました。 |
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中山道は木曽街道とも呼ばれていました。
中山道には69の宿場があり、妻籠宿は江戸から数えて42番目だそうです。中山道と伊那街道が分岐するため、古くから交通の要衝として賑わったしyです。 |
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明治になって鉄道や道路が整備され、妻籠宿は衰退していきます。
さらに国道256号の整備計画がもちあがったとき、これを契機に「売らない・貸さない・壊さない」の3原則をもつ日本初の町並み保存運動が起りました。 |
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国の重要文化財に指定されている脇本陣
江戸時代は庶民禁制だった木曽檜をふんだんに使って明治10年に建てられたものです。
明治という新しい時代を迎え、天皇行幸にも使われた建物ですが、鉄道が整備されたことにより、当主の目論見と異なり、宿は寂れていくことになったそうです。 |
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宿場町の役割を失って寂れ、、建物を建替える財力さえ無かったことが町並みを残すことになったと、少し自嘲的に脇本陣の解説員と女性が話していました。
妻籠をあとに国道19号を北上して奈良井に向かいました。 |
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