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インド |
次はNepal |
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1. 成田 → バンコク → ニューデリー
2. ニューデリー → アグラ
3. アグラ
4. アグラ → バラナシ
5. バラナシ →
6. カルカッタ
7. カルカッタ → バンコク →
8. → 成田
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【12/27】
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うっかりバックパックの中にアーミーナイフを入れていたので、ナイフはクルー預かりに。→ そのまま行方不明になりました。
エアインディア309便の機内食はいきなりカレー。バンコク経由便だったので、12時間かけてニューデリーに到着しました。空港ビルに入ると、インドの香りが到着を実感させてくれます。100$両替したら3870ルピーになって分厚い札束を仕舞うのに難儀しました。
「知人の迎えを一人で待つのは怖い」と女の子が半泣きになっていたので、しばらく用心棒がわりに一緒に待ってあげました。この薄暗さ、インド人の眼光の鋭さ、半泣きも無理はないなぁ。
今晩は空港近くのホテルに泊まりました。780Rs。 |
【12/28】
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冬のインドは冷えます。4℃、薄い毛布の中で念のために持ってきた寝袋にくるまって寝ました。
10時の国内線でアグラへ飛ぶ予定が霧で遅延とのこと。おいおい、有視界飛行なんでしょうか?結局、飛び立ったのは15時でした。
まずタージ・マハールへ。近くで見ると確かにデカい、確かに大理石。インド人の観光客でごったがえしていました。
いくつかホテルをあたり、1000Rsを800Rsというので Amar Yatri Nivas
にチェックイン。床は大理石、エアコンばっちりでした。←洗濯できる!
夕食は近くのレストランでマトン、ナン、ティー、水で135Rsでした。 |
【12/29】
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チェックアウトしようとしたらマネージャーさんがチャイをご馳走してくれました。
歩いてアグラ城へ。赤い砂岩の巨大な要塞からヤムナー河とタージマハールを見たかったのですが、あいにく朝霧で見えませんでした。
ベナレスまで飛行機で飛ぼうかとインディアンエアラインズのオフィスに行ってみましたが、霧のため要領を得ません。空港なら話が早いのいうのでリクシャを拾ったらインド空軍基地に連れて行かれてしまいました。(汗)
結局、空港で聞いたら濃霧で機材が到着しないとのこと。ならば列車でと思いアグラ・カント駅へ行ったら、「特急は一週間後まで満席」って言われてしまいました。ガーン!
どうやってバラナシへ行こうかと思案していたら、やってきました自称トラベルエージェンシー。駅員にバクシーシ渡せば2等が手に入るとかその他アレンジするとか言ってきます。おもしろそうなので店で詳しく聞くことにしました。 |
【12/30】
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普通列車の網棚に40時間という案も出たのですが、結局6300Rs払うとバラナシまで車をチャーター出来ると言います。700kmを8時間、ドライブも楽しそうなのでお願いしました。
車が迎えに来るまで「宝石買うか?」「大理石買うか?」「ハッシッシやってみないか?」←麻薬なんてやらないよ! 楽しいやりとりでした。
11時に国民車アンバサダーが迎えに来て、アグラを出発しました。ドライバーは殆ど英語だめでしたが、走り出して運転テクを拝見し恐れ入りました。交通ルールなし(に思える)、路上にひしめく寝ている牛、牛車、ラクダ車、象まで登場、よくよけて走れるなぁ。渋滞で停まると窓から指の溶けた腕や鼻の溶けた顔がバクシーシをねだってきます。慣れるまで最初はウワーでした。
バラナシまで8時間って言ったのに嘘つき・・・。着いたのは午前2時、所要15時間でした。ダッシュボードの金具が外れていて、助手席からずっと押さえていたので、乗っていて疲れました。 |
【12/31】
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少し眠い。お湯をもらって髪を洗ったら眼が覚めました。
チェックアウトして玄関を出ようとしたら牛がどてーっと寝ていて道路に出るのに難儀しました。リクシャに乗ると、路上生活の家族生活のなかを縫って駅まで走りました。
今晩のカルカッタ行き寝台特急の予約を申し込むと、エアコン3段寝台がラスト1枚、You
are LUCKY! と言われました。良かった良かった、740Rs。
切符が取れたので安堵してバラナシをまわる気分になりました。歩いているとリクシャが声をかけてきます。話しているうちに100Rsで1日ガイドすると言います。頭の中にネパール人=正直親切という公式が浮かんできたので頼んでみました。ちょっと探し物もあったので・・・
探し物というのは仏像の下に敷くようなシルクの織物。たいていの店にはタペストリーみたいな大きいものしかないので知っている店に連れて行ってもらいました。店では案の定、チャイを勧められます。飲んで大丈夫かなーと思いましたが大丈夫でした。こっちもカップ取るとき気をつけたりしましたが・・・
ガンジス河、で、でかい。感動しました。ボートで河からガートを見ることにしました。ガンジス河の中央で波に揺られていると感慨無量です。人々が沐浴しています。かと思えばとあるガートでは死者を焼いている炎がチロチロと燃えています。人間の生命力、生と死。一日で頭の中がいっぱいになってしまいました。バナラシはそんな街でした。
寝台列車は午前2時45分発。むちゃくちゃ寒い冬の待合室で3時間ほど列車を待ちました。アナウンスが流れ、予定より早く2時半に出発するとのこと。遅れるなら当り前だけど早まるなんてあり?
ホームは暗くてよくわかりません。懐中電灯持ってきてよかった。でも何処が乗車口?何処が4号車45番?3段の真ん中でした。同じコンパートメント人が親切に教えてくれました。 |
【1/1】
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6時半、車掌さんがチャイと新聞を配ってくれてお目覚め。日本の感覚からすると保線状態最悪でバウンドするように大地を走っていきます。
10時45分、カルカッタ・ハウラー駅に到着。来たぞーって感じです。駅構内で軽く食事を済ませ、外へ出ると車、バス、人力車、人、人、人の群れ・・・。フーグリー河の対岸までリクシャかフェリーも考えましたが、トラス構造の巨大なハウラー橋(600m)を見て歩いて渡りたくなりました。
(差別ではありません→)不具、乞食、日本の日常からすると悲惨に思える路上生活の人たちで歩道は埋まっていて、まっすぐ歩くのに苦労します。眼を合わせられず、結局うつむいて黙々と橋を渡りました。
サダルストリートで宿探し。2軒めの Astora Hotel に空きがあったのでチェックイン。850Rs。疲れていたので少し昼寝してから街を散策というよりむしろ探検に出かけました。 |
【1/2】
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地下鉄でカーリー寺院へ。地下鉄はあちこちに軍の兵士が立っているせいか、意外に快適綺麗でした。正月のためかいつもなのか寺院は参拝客でごったがえしていました。
うってかわってカルカッタ公園はイギリス植民地時代の名残り、白亜のヴィクトリア記念堂を中心とした緑の芝生が広がり、柵の中だけはカルカッタの猥雑とは別世界の感がありました。
公園横のインド博物館を見学したり、フーグリー河をフェリーで往復したりするうちに夕方になったので、タクシーを拾って空港へ。
市街から空港へ行く窓の外には以前「宇宙一邪悪な都市」と呼ばれたスラムが立ち並んでいます。圧倒的な人口、壊滅的な都市基盤、極度の不衛生と貧困。頭の中で消化しきれず熱を帯びそうです。
無事、バンコク経由の帰国便に搭乗したあとも余韻は容易に醒めませんでした。 |
【1/3】
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成田に到着。
ごく短期間のインドでしたが、カルチャーショックはやはり圧倒的でした。(トイレの方法だけは一年前にネパールで免疫をつけていたのですが)
帰国後しばらくは日本の豊かさ、清潔さに改めて気付く毎日となりました。
機内で隣に座った人に、「またいつか来たいですね」と言ったら「もう二度と来ない」と言われました。さまざま・・・ |
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