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ポルトガルとバスクへ 2
次はSpain


    1. 成田 → アムステルダム → マドリード
    2. マドリード → リスボン
    3. リスボン → シントラ → ロカ岬 → リスボン
    4. リスボン → アルカサル・ド・サル → グランドラ → ラゴス → サグレス
    5. サグレス → ラゴス → シルヴェス → リスボン
    6. リスボン → マドリード → パンプローナ → サングエサ
    7. サングエサ → ロヨラ → サン・セバスチャン → バイヨンヌ
    8. バイヨンヌ → サン・ジャン・ピエ・ド・ポー → パンプローナ
    9. パンプローナ → マドリード → セゴビア → エル・エスコリアル
   10. エル・エスコリアル → マドリード
   11. マドリード → フランクフルト →
   12. → 成田


【9/17】


 延べ3泊して、せっかく片言の会話も心温まるようになったけど、残念ながらチェックアウト。
 朝食を済ませて空港に向かいました。

 レンタカーを返却し、エアルクソール便にチェックイン。定刻に離陸後、窓から小さくなるリスボン市街やテージョ川、赤茶けた台地を眺めているうちにマドリード空港に到着しました。

 今日はこのままパンプローナ行きに乗り継ぎます。
 このイベリア便もネットで予約したら往復570ユーロが142ユーロにディスカウントでした。

 窓側の席をリクエストしたのですが、乾いたメセタが続くばかり。他人事ながら、この不毛の台地でどうやって生きてきたんだろうと心配になっちゃいます。

 1時間かからずにスペイン北部ナバラ州の州都であるパンプローナに到着。種子島空港並みに小さい空港だなぁ、がタラップを降りた印象でした。

 レンタカーを借り出して一路西へ。到着が少し遅れたので、すでに6時半になってしまいました。日没は何時なんだろう・・・、陽のあるうちにとハビエル村へ急ぎました。ポルトガルに慣れてしまったのか、荒いと言われるスペインの運転マナーがおとなしく感じられるから不思議です。

 7時半、フランシスコ・ザビエルの生家ザビエル城に到着。ちょうど陽が傾きはじめ、夕陽に照らされたファザードと塔の陰影が印象的でした。保存工事のためクレーンが立っていたのが残念ですが、少し前までは緑のネットに覆われていたそうなので、まぁ良しとするか。

 神父さんに「日本からきたのか」と話しかけられました。この神父さんってザビエルの子孫?わかりませんでしたが、日本人には特別の感情をもって接してくれたように感じました。

 近くの丘に登って城を眺めたりしていましたが、8時を過ぎて、さすがに陽も沈んできました。来た道を戻り、メールで予約したホテル・ヤマグチへ。←友好都市なので名付けただけで経営に日本人は関係ないそうです。

 ところが予約が入っていないらしい。実は予約メールに返信が来なかったので気になっていたのですが、不安的中。フロントの女性に送信の控えを見せると、その数日間パソコンがダウンしていたらしい。申し訳ないと言って近くのホテルを探してくれました。すごく丁寧な対応に好印象。

 紹介してくれたHospederi de Leireは修道院の宿坊を改造したホテル(オスペデリア)でした。暗闇のなかに浮かぶ古い修道院、外見はちょっと不気味でしたが内部は素敵に改装されています。これでシングル31ユーロは大満足でした。

【9/18】


 朝、もう一度ザビエル城へ。隣接する礼拝堂にはザビエルも使ったという石造りの洗礼盤が残っていました。

 黙々と歩いている人がいました。サンチャゴ巡礼者です。
 フランスからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの800kmを巡る巡礼路は、ピレネー山脈を越えるルートが2つあります。明日訪ねる予定のサンジャン経由のものと、このハビエル村経由のもの。どちらも冬季は死者が出るほどの難路だそうです。巡礼の道についてはこちらが参考になると思いいます。http://home.att.ne.jp/wood/aztak/untiku/santiago.html

 ピレネーの大山塊は古くからバスク人の土地です。今はフランス領とスペイン領に分断、統治されていますが、この付近は8世紀から続くナバラ王国がスペインの中に存在しているという複雑な地域です。このナバラ王国の周囲には80年前後に認められたバスク人の自治州があります。今回は巡礼路を訪れるとともにバスク文化に触れてみたいと思っています。

 ハビエル村を後にしてサングエサの村へ。石造りの聖堂の下に車を停めて街を歩くと、祭りに出会いました。みんな白と赤のバスクの民族衣装に身を包み、楽隊の列が進んで行きました。

 パンプローナまで戻りロヨラのいう小さな村を目指しました。
 高速道路A15から一般道でいくつか峠を越えていきます。峠の標高は1000mくらい。豊かな緑に覆われ、まるでスイスの牧畜風景のようです。レストランテがあったので休憩しましたが、描いていた荒涼たるスペインのイメージとはまったく異なる豊かな自然風景です。豊かな農業、牧畜、バスクをスペインが手放さない理由の一つかなぁ。

 カトリックのことは無知なので聖人としてのロヨヲはよく知りません。しかし、ザビエルを哲学から神学へ転向させた人間としてのロヨヲに興味を持ち、今は宮殿(修道院)になっている生家を見に小さな村ロヨヲに立ち寄って見ました。

 行ってみるとロヨヲ城はゴシック様式の豪華絢爛な宮殿でした。彼の一代記が絵画や模型で展示されていたので、一通り回って海岸を目指しました。

 バスク地方の山あいはスイスのようで素敵でしたが、大西洋岸に出ると太陽が降り注ぎ、心も明るくなります。海バスクというそうです。

 小さな漁村のゲタリアに立ち寄ったあと、サン・セバスチャンに向かいました。スペイン初の国際リゾート地としても有名ですが、ETA(バスク祖国と自由)の活動拠点としてのイメージが強いです。

 春に起きたマドリード・アトーチャ駅の爆破事件とETAの関連も取り沙汰されていますが、街は完璧なリゾートの雰囲気。海岸近くの地下駐車場に車を停め散策してみました。

 左右に江ノ島のような砂州でつながった島をいだき、(陸繋砂州=トンボロ←理科で習ったけどイタリア語なんですね)弧を描く海岸歩道はそぞろあるきの人でいっぱいでした。あちこちに「ETA」と書かれた落書きはありましたが。

 陽が落ちてからも夜景を撮ったりしてたら9時になってしまい、慌てて出発。今日の宿はフランスのバイヨンヌ、まだ60kmあります。夕食のため高速道路のレストランに立ち寄ったら、いかにもバスクだぞっ、石持ち上げちゃうぞって感じのドライバーがいっぱいでした。でも片言で会話したらみんな気は優しくて力持ちみたいな人達でした。

 スペイン・フランス国境のゲートが見えてきたので、パスポートを片手に進入しましたが、高速料金1ユーロちょっとを払っただけで通過。そういえば、今回はどこのスタンプも押されてません。記念にならんなぁ。

 以前と違い、国境越えの感動がありません。道路標識の文字だけがフランスに入ったことを教えてくれました。

【9/19】


 バイヨンヌはアドゥール川に面した河港町。
 朝起きて、まず川沿いにあるバスク博物館を訪ねました。(ちなみに入館料は無料)

 有名なしゃもじ型の墓石、力比べに使う丸い石、赤と白の民族衣装、ベレー帽、昨日見た民族楽器、スカッシュに似た球技ペロタの道具・・・。歴史、風俗、絵画などバスク文化に関する品々が展示されていて見飽きません。バスクはスペインじゃないいだから独立するよって言うのももっともな感じがします。

 石畳の道を歩いて行くと、街の中心にカテドラルがありました。小雨が降ってきたので雨宿りを兼ね内部に入ると、ちょうど日曜朝のミサが行われていました。みなさん真面目そうに神父さんの話を聞いていたので退去。

 バイヨンヌから進路を西へ、アドゥール川を遡上します。
 バイヨンヌはフランス中世の雰囲気を残す石造りの街でしたが、右手にピレネーの山塊が見えはじめると、バスク風の白い壁の民家が点在するようになりました。

 緑の斜面には牛や羊が放牧され、絵葉書のような風景が続きます。途中、幹線道路を外れて小さな村に立ち寄ってみました。古い石造りの橋などもあって、可愛らしい村でした。

 2時、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールに到着。以下、長いのでサンジャンと表記しますが、代表的なサンチャゴ巡礼の宿場町です。昔はパリから巡礼したそうですが、現代ではサンジャンを起点とするのが主流だそうです。
 大きなリュック、水を入れるひょうたん、巡礼の象徴である帆立貝。思っていた以上に巡礼者は多いようです。

 城壁に囲まれた中世の城郭都市サンジャンを歩いていたら、何軒かドアに帆立貝を飾った家がありました。話に聞いていた巡礼宿です。四国遍路の遍路宿は営業の民宿が主ですが、サンチャゴ巡礼の場合はヤコブに対する奉仕の意味合いが強く無料で泊まれると聞きました。詳しい人がいたら教えて下さい。

 サンジャンからピレネー街道を進みます。仏西国境を越えたのは3時半。路傍にあったナバラ州の看板を通りすぎただけでスペインに入ってしまいました。あまりにもあっけないのでUターン。旧道を探して進むと使われなくなった国境の検問所が建っていました。

 ピレネー山脈の頂上が国境かと思っていたのですが、実はフランス側の麓が国境で、山塊の殆どはスペイン側でした。九十九折で高度を上げて行きます。約1時間でIbanetaという峠に到着。巡礼者と仲良くなり写真を撮ったりしたのですが、どうも遥かな国から来た車での巡礼者と勘違いされたようでした。誤解を解こうかと思ったけど言葉の壁が厚く、面倒くさくなりそのまま・・・。

 峠は標高1057mでした。あとはパンプローナまで綺麗な舗装路を土のままの巡礼道と時々交錯しながら下るのみです。パンプローナに着いたのは6時でした。

 さて、パンプローナで宿探しと思ったのですが、明朝空港まで走るのも億劫かと思い、宿は空港近くで見つけました。

 チェックインして鍵だけもらい、パンプローナの市街見物へ。毎年7月に行われる牛追い祭りが有名です。TVでよく走っている牛が滑ってますが、旧市街の石畳の道は長い歴史の中で磨り減っていて、確かに走ると滑りそうでした。

 そうこうしているうちに夜も更け、明るいのはバルだけになってしまいました。深夜のバルは酒と煙草でごったがえしてます。空港近くのホテルまで運転しなくちゃいけないので、迷いましたがバルはパス。大通り沿いにケンタッキーを見つけ夕食にしました。あぁ寂しい・・・。

【9/20】


 空港近くのHOTEL HUSAに泊まったおかげで今朝はゆっくり。
 レンタカーを返却し、(まだ開いてなかったのでポストに鍵をポイ)搭乗手続きを済ませてロビーで時間をつぶしました。バスクっぽい手軽なお土産はないかなぁと思ったのですがキオスクくらいの売店しかありませんでした。

 マドリード行きの飛行機は双発機。日本では飛んでいないフランス製のATR72だったのでカメラに収めたのですが、赤いバンがちょっと邪魔でした。

 1時前にマドリード空港に着陸。掘立て小屋のようなパンプローナ空港から飛んでくると、マドリード・バラハス空港の巨大さと人の多さに圧倒されてしまいます。

 軽く食事してからレンタカーのカウンターへ。外へ出ると強烈な日差し、35℃を超えているようです。緑のバスクから灼熱のマドリード、こんなに気温が違うものなのかなぁ。

 今回ドライブしてきたポルトガルとバスクに比べるとマドリードはやはり大都会。環状道路は片側5車線の大動脈でした。

 A6、A6と標識を追って無事に環状道路から北西へ分岐、さらにA61へ分かれてセゴビアを目指します。空港から2時間弱でセゴビアの街に到着しました。

 広場地下の公共駐車場に車を停め地上に上がると、目の前に巨大な水道橋がそびえていました。圧巻。

 ローマ人の遺跡である水道橋の建造は1世紀後半らしく、日本でいうと邪馬台国の出現前。よくまぁこんなものを・・・。花崗岩を積み上げただけで本当に2000年も持っているのかなぁ。試しに両手で押してみたけど、びくともしませんでした。(当り前、もし崩れたら世界遺産破壊の罪)

 水道橋左側の石段を登って旧市街へ。上から見下ろす水道橋も圧巻でした。(写真にマウスを当てると上からの写真になるように遊んでみました)

 旧市街を散策しアルカサルと呼ばれる要塞へ。白雪姫の城のモデルになったと言われています・・・おいおい、後ろ姿じゃないか(鬱)。要塞の反対側が崖になっていて、その崖側から見なくちゃ駄目なことに気づきました。

 車に戻り、目見当をつけて谷を挟んだ反対側に回ってみると、白雪姫らしい城の外観に出会うことができました。(そんなこと読んだ本には書いてなかったぞ)

 もう7時だけどまだ明るい。今日の宿、エル・エスコリアルまでは遠くないし、一般道で行くことに。途中で夕食を済ませ、ちょっと遅め9時すぎにエル・エスコリアルに到着しました。

 が、予約したホテルは何処だ? ウェブで予約し、印刷してきた地図の縮尺が実用的ではなく現在地さえ把握できない。右往左往し行ったり来たり。深夜、公園にたむろっていたお兄ちゃんに手振りを交えて教えてもらいました。怖かったけどいい人でした。

 着いてみるとホテルはエル・エスコリアル宮の真正面。路上駐車で大丈夫というので、最後の夜にはじめて車を道路に置きっ放しのままチェックインしました。

【9/21】


 最終日、朝から太陽が降り注いでいます。

 スペインが「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれた絶頂期に造営された宮殿、エル・エスコリアル宮を訪れました。
 16世紀にフェリーペ2世が新しい宮殿として造営に着手したものですが、そのあとオランダの独立戦争、経済破綻、無敵艦隊がイギリスに敗れるなど凋落していくんですね。

 バックはロッカーに入れるよう指示され、金属探知機を通ってからやっと入場です。春のマドリード・テロの影響でしょうか。壁や天井に描かれた宗教画や王の部屋などを見て回り、見学コースは霊廟へと続きます。黄金で装飾された歴代の国王の棺が並んでいて、探すとフェリーペ2世の棺も他の王と同じ意匠で安置されていました。

 部屋が300もあるという宮殿の見学に予想以上に時間を要してしまい、昼前にようやくエル・エスコリアルを出発しました。途中でスーパーに立ち寄りお土産を物色したりして、予定通り2時に空港へ到着し、レンタカーを返却しました。

 イベリアのカウンターでアムステルダムまでは窓側、成田へは通路側をリクエストして搭乗時間まで一休み。ほぼ定刻に搭乗開始となり、着席して今回の旅行を振り返りました。

 ところが・・・ 誘導路まで移動したイベリア航空機がまた戻ってしまいました。機材交換するらしく出発時の日本航空みたいに再び降ろされてしまいました。地上係員から「出発が遅れるためアムステルダムで日本への乗継はできません。マドリード一泊してください」

 _| ̄|○ そんな・・・

 用意してくれたホテルは空港近くのMELIA BARAJAS **** 。今回初の四ツ星に機嫌解消しました。再集合は明日の昼過ぎだというので、それまでプレゼントされた1日と思い楽しむことにしました。

 一緒に延泊になった人と夕食を取っていたら、フラメンコを観にいくという方がいました。フラメンコ、前回グラナダで観ようと思っていたのに酔いつぶれて観ることが出来なかったので、同行させてもらいました。

 タクシーで王宮近くのタブラオCorral de la Moreriaへ。ショーは踊り子が随時入れ替わる構成で、上手い人は遅く出てくるみたいです。心に訴えてくる人とそうでない人が明白でした。12時半、お客さんが少なくなったので大トリの前に早めに閉店。

【9/22】
 最後の半日はプラド美術館に行こうかと思いましたが、保存のため見学中止になっているアルタミラ洞窟壁画の複製が国立考古学博物館にあることを知り、行くことにしました。

 ホテルで荷物を預かってもらい、地下鉄を乗り継いでコロン広場近くの博物館へ。出土した数千年間の遺物を早足で見学しましたが、目的の壁画が館内に見当たりません。係員に聞いたら建物の外に洞窟を模した地下室があるとのこと、なんだ無料だったんだ。

 暗い人工の洞窟に眼が慣れてくると、天井に馬やバイソンの姿が現れてきました。

 約束の時間に空港に集合。渡されたチケットはチリ航空でフランクフルトを経由するもの。まったく馴染みのないエアラインでしたが機材は最新鋭、ピレネー越えに続いてモンブランや遠くにマッターホルンも拝めるルートとご機嫌でした。

【9/23】


 一日遅れて成田に到着しました。

 接続できずに一日遅れて件について日本航空の人は「イベリアのせいで日本航空も迷惑した」みたいな態度。フランクフルトでの乗継待ちにラウンジを提供してくれましたが、お詫びの言葉や態度はありませんでした。

 一緒に一日遅れた外人さんはかなりクレームを言っていました。面倒くさいので抗議には加わりませんでしたが、マドリード・アムステルダム間もコードシェアでJAL便名を名乗っているんだから、しっかりして欲しいなぁ・・・

 スーパーで購入したカステラ(カスティーリャ地方のパン)を食べながら思いました。
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