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アイルランド |
次はドイツ・スイス |
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1. 成田 → ロンドン
2. ロンドン
3. ロンドン → リバプール
4. リバプール → ダブリン → ゴールウェイ
5. ゴールウェイ → アラン島 → ゴールウェイ
6. ゴールウェイ → モハー → キーラニー
7. キーラニー → ケンメア → コーク → ロンドン
8. ロンドン →
9. → 成田
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【9/14】
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今回の目的はローリングストーンズのコンサートと、アイルランドでの妖精探しです。
日本を昼に出発して夕方にロンドン到着しました。地下鉄で市内へ。
コンサートのチケットをウェブで予約し、当日に会場で発券することになっています。ミックジャガーが体調を崩して前回の公演が延期になっていたため、何か情報はないかと思い、まずはピカデリーサーカスのバージンメガストアに寄ってみました。
「本日は閉店しました」
せっかく来たので、ライトアップされた夜景を楽しんでから、再び地下鉄でユーストン駅へ。格安ホテルチェーンのアイビス(←お気に入り)にチェックイン。明日に備えてそのまま休みました。 |
【9/15】
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再びピカデリーのバージンへ行くと、コンサートは予定通り、チケットは会場発券ということでした。会場発券は混んで時間がかかるという噂を聞いていたので、午前中に行ってみようと地下鉄に乗ってウェンブリーへ。 まだ開いてなかった・・・
市内へ戻る地下鉄の途中にビートルズの聖地アビーロードがあります。行ってみるとジャケットでおなじみの横断歩道があり、標識はファンの記念落書きがいっぱいでした。詳しくはこちら。
テムズ川の対岸にある夏目漱石の下宿跡や、いちおうビッグベンを見たりして時間をつぶし、夕方になってからコンサート会場へ。
燃え尽きました。 ライブについては別ページ |
【9/16】
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余韻覚めやらぬ・・・
昨日、座席指定した9時10分発の特急列車でリヴァプールへ。
ヨーロッパらしいコンパーメントかと思ったけど普通のオープン座席でした。車窓からはイギリスらしい田園風景が流れていきます。
3時間弱でリヴァプール・ライムストリート駅に到着しました。
リバプールに着いたらインフォメーションに行ってビートルズ所縁の地を巡るマジカルミステリーツアーのバスチケットを買って、食事してツアーバスに乗って・・・
と予定をたてていたのですが、しょっぱなからインフォメーションの場所がわからずうろうろ。古いガイドブックに載っている場所から移転したという情報は得ていました。リヴァプールといえばビートルズなんだから、行けばなんとかなるだろうと、たかをくくっていたのですが迷いました。
街ゆく人にツーリストインフォメーションの場所を聞いても知らないという人ばかり。そういえば東京で外人さんに突然聞かれて、「有楽町の晴海通り」って答えられる人も少ないだろうし、無理も無いかな。
ようやく場所を教えてもらってインフォメーションに着いた時にはチケット発売終了後。併設のバスセンターで路線図をもらい、自力で所縁の地をまわることにしました。
バックパックが重いので、とりあえず予約済みのIbis Htel(また)に荷物を置いて路線バスに乗車。ペニーレインやストロベリーフィールズを巡りました。詳しくは別ページへ。結果的には自分の好きなだけ歩き回れることができて正解でした。
市内へ戻り、港町の風情ある市街地を散策。石造りの建物が徐々に夕焼けに染まっていきます。
歩いていると「酔っぱらい禁止エリア」の標識を見つけました。 |
【9/17】
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夜明け前バスセンターまで歩き、始発のバスを待ちました。空港へは6時半に到着。空港の正式名はリヴァプール・ジョン・レノン空港、ジョンの似顔絵が和ませてくれます。
ネットで予約した格安航空会社ライアンエアの飛行機は明るくなってきた空へ舞い上がり、わずか45分のフライトで海峡を飛び越えました。
さっそくレンターカーカウンターへ。AVISが用意してくれたのはヨーロッパらしく心地よく回るディーゼルでした。
まずはダブリン市街へ。心もとない地図しか持っていないので、標識を見ながら南へ進みました。市街地に入り、一方通行で無理やり左折させられてからは勘に頼っての運転になりましたが、市の中心部を流れるリフィ川が良い目印になりました。
市の中心部にある立体駐車場に車を停めて、ツーリストインフォメーションへ。とりあえず知識を仕入れて街を歩きました。
ダブリン市は首都でありながら人口100万人。石造りの旧市街地は歩いてまわるのにちょうど良い大きさです。
ジョナサン・スウィフトの棺が床に納めれている聖パトリック教会やトリニティカレッジなどを見て回り、カフェで昼食を取りました。トリニティカレッジの路上に宗教画を描いている人が印象的でした。(描きあがったら踏んで歩けないんだろうな)
ダブリンの南にある海岸に立つジョイスの砲台へ。ジェイムス・ジョイス・タワーと名付けられ、小さな博物館も併設されていました。ユリシーズ、読み直してみようかな。
ゆっくりしていたら4時を過ぎてしまいました。アイルランド島を横切って約250km離れた西海岸のゴールウェイを目指して出発しました。
幹線道路N4とN6で西へ走ります。北海道ほどの国土に人口400万人弱。国家規模としては小さな国ですが、道路は快適です。最初の30kmは高速道路(無料)、そのあとは車線こそ2車線になりましたが交通量も僅少で快調に飛ばせました。
とはいえ、途中の村に寄り道しながら走っていたら、道半ばで陽が暮れてしまいました。ゴールウェイに着いてからホテルを探し回ったこともあり、アルディランホテルにチェックインしたのは10時でした。ちょっと疲れた。
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【9/18】
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今日はアラン諸島のイシュモア島へ。
ホテルの人が、ゴールウェイから直接渡るより郊外のロッサヴィールから高速船で渡ったほうが便利だと教えてくれました。
ロッサヴィールはゴールウェイから約1時間のドライブでした。ホテルを出て海岸沿いの道を北上すると、人気の無い荒涼たる景色になります。背の高い樹はなく、石垣に守られた民家がたまに点在している程度です。
港の駐車場に車を停めて乗船券を購入。往復で19ユーロでした。
北大西洋に浮かぶ孤島、イシュモア島へは約40分の船旅。到着するとあいにくの雨模様でした。(雨の降る日が1年のうち200日と聞いていたとおり、あ〜ぁ)
観光客用のミニバスが客引きをしていました。同じ船で来た殆どの人たちはミニバスに分乗して去って行きました。
断崖の古代要塞ドン・エンガスは港から約8kmと書いてあったので歩こうかと思ったのですが、自転車を10ユーロで貸してくれるというので借りることにしました。あとで考えたらミニバスツアーは8ユーロらしいので、自由度が高い分、ちょっと高かったかな。
人口900人、石灰岩の岩盤が露出している孤島。ケルト人の島民が、長い年月をかけて地表に貼り付けた土(埃とか海藻)が岩盤をうっすらと覆っています。点在する民家の周りにある石垣は、せっかく貼り付けた土が強風で飛ばないように、岩盤を砕いて築いたものだそうです。ここまでしてこの過酷な孤島で生き抜いてきた・・・、人間の所業に胸をうたれます。
ドン・エンガスのビジターセンターに12時ころ到着。断崖へは自転車を停め、歩いて20分ほど。ミニバスで来た人たちはもう見学が終わったらしく、岩盤の上の遊歩道ですれ違いました。
多分2000年前の、しかし詳細は不明だという古代要塞は大西洋に面する断崖際にあります。切り立った断崖は、近づくと風が強くてちょっと怖いものがありました。まさに地の果てまで来たという感じです。
冷えたのでビジターセンター近くのレストランで熱いアイリッシュ・シチューを注文しました。
寄り道しながら4時に港に戻り、出航までの時間をアランセーターの店で過ごしました。船は5時に出航、平坦な絶海の孤島は霧に覆われて見えなくなりました。
ゴールウェイの街に戻り、夕食を兼ねて街を散策。通りのあちこちにストリートミュージシャンがいて、バイオリンやイリアンパイプス(バグパイプ)の音色が流れていました。 |
【9/19】
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ゴールウェイの街から西海岸を南下します。
途中のバレン高原はガイドブックやゴールウェイ付近の風景から荒涼とした景色を想像していたのですが、思いのほか明るい感じでした。小さな村には古城や教会などもあって眼を楽しませてくれました。
モハー付近は高さ200m前後の断崖が続き、はるか崖下では大西洋の荒波が飛沫をあげています。西海岸随一の観光地らしく広い駐車場には大型観光バスが何台も泊まっていました。アイルランドで唯一、日本人の姿を見ました。
エニスでN85からN18に道をとり、さらに南下します。リムリックはアイルランド第3の都市だけあって、街を抜けるまで渋滞が続きました。
N21沿いの街アデアはアイルランドいち可愛い村として知られているところです。この街をはじめ、西海岸には白漆喰の壁、草葺き屋根の素朴な民家が多く被写体に事欠きません。
自然に囲まれたリゾート地キーラニーで日没となり宿を探すことにしました。週末のせいか、B&Bの玄関にあるVACANCYの表示に
NO の文字が次々点灯していきます。
55ユーロで宿を確保し、荷を置いて街へ繰り出すと、あちこちのパブで生演奏が行われていました。 |
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【9/20】
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キーラニー国立公園を南下しました。平坦なアイルランドのなかで珍しく800m程度の山と湖が点在しています。
このあたりは妖精で有名・・・
緩い上り坂で峠を登っていきます。両側は樹林になったり川に沿って走ったり、岩盤の上に溜まった湖沼に面したり、飽きることがありませんでした。
峠には小さな売店と有名な標識「妖精横断注意 Leprechaun Crossing」
峠を下るとケンメアの街に到着。パステル調の町並みが可愛い小さな街でした。ここからは東へ進路を取り、アイルランド第2の都市コークを目指します。569号線という非幹線道路でショートカットするとN22号線に合流しました。N22号線は4車線の高速道路で、計算より早くコークに到着することができました。
コークの繁華街は多くの人で賑わっていました。アラン島など寂しい所を数日間巡っていたら、人口13万人のこの街が大都会に感じられました。
鐘楼で有名な聖アン教会やバター取引所などを見たあと、コーク大学のキャンパスへ。緑豊かな大学周辺は心が落ち着く感じがしました。
空港に戻り、レンタカーを返却。駆け抜けたアイルランドに別れを告げ、ライアンエアでロンドンへ移動しました。
ロンドンは、スタンステッド空港に着陸。
この空港を利用するのは初めてだったのですが、ヒースローに比べ小さい空港のため乗換えも便利でした。ロンドン市内へは空港地下の駅から
Stansred Express で45分。リヴァプールストリート駅に着いたので、地下鉄を乗り継ぎ、馴染みの気分になったユーストンのホテルアイビスにチェックインしました。
街道をゆくを訪ねて 愛蘭土紀行 はこちら |
【9/21】
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帰国便は夕方なので、午前中を大英博物館、午後を漱石記念館で過ごすことにしました。
ホテルに荷物を預かってもらい、ユーストンから地下鉄でトテナム・コート・ロードへ。駅からとことこ歩いて大英博物館に到着。
4年前に訪れた時は、あちらこちらで工事中だったのですが、今回はリニューアルが済んだようで、綺麗になっていました。
入り口の寄付金箱に心づくしを入れて入場。中の配置も変わったようで、ロゼッタ・ストーンなども、ケースに入れられて展示してありました。(光が反射してうまく写真に撮れないよぉ) 大英帝国の略奪品? 足早に見たい物を絞って回りました。
近所のカフェで一息着いてから漱石記念館へ。
地下鉄のクラハム・コモン駅で降りて住宅街を歩いていきます。漱石記念館は夏目漱石がロンドンに留学していた2年間のうち1年半を過ごした第5番めの下宿の正面で、記念館の窓から漱石の住んでいた部屋の窓が見えます。恒松郁生館長から貴重な話を聞くことができました。
記念館の帰りに地下鉄を途中下車してテムズ河畔を散策しました。
ホテルへ戻ってバックを受取り、パディントン駅へ。ゆっくりしてたら時間が危なくなってきたのでヒースローエクスプレスで空港に行くことにしました。地下鉄3.4ポンドに比べて10ポンド! 早くて快適でしたが高いなぁ。
搭乗1時間前にチェックイン。最後の最後だけ慌しくなってしまいました。 |
【9/22】
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午後、成田に到着。
ゴールウェイで飲んだギネス、美味しかったなぁ。
缶を見ると思い出します。 |
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