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オランダに堤防を見に行く 2
次はポルトガルとバスクへ2


    1. 成田 → フランクフルト → マインツ
    2. マインツ → ケルン → マーストリヒト → アムステルダム
    3. アムステルダム市内

    4. アムステルダム → 大堤防 → ナールデン → ライデン
    5. ライデン → キンデルダイク → ヘルモンド
    6. ヘルモンド → ニューネン → トールン → フランクフルト →
    7. → 成田


【9/25】


 北部にある大堤防を目指してホテルを9時30分に出発。IJ-tunnel という川底トンネルを抜けて北アムステルダム地区を過ぎると、急にのどかな酪農風景になりました。約1時間で最初の目的地、ホールンに到着です。
 1602年に設立された東インド会社は世界初の株式会社と言われています。その2年前にリーフデ号が日本に漂着し、アダムスとヨーステンが徳川幕府の外交顧問になっています。日本が鎖国(というより通商制限)したのち、ヨーロッパ唯一の貿易相手になりました。街の中央広場に面した西フリージアン博物館は、当時の建物と調度品がそのまま遺されています。広場の反対側には当時の計量所をそのまま使用したカフェがあったので、朝のお茶と洒落こみました。
 港町ホールンでは、春から夏にかけて生ニシンを食べさせてくれるスタンドが出るそうですが、9月末は季節も終わっているようでした。
 ホールンから、A7号線をさらに北上します。北海が近くて風が強いのか、風力発電を多く見かけるようになりました。
 今回の旅の目的地、大堤防に到着しました。北海に面したゾイデル海を堤防で締切って干拓をするという構想は17世紀ころからあったそうです。1932年に延長30kmの大堤防が完成し、ちょうど75周年の行事も行われたそうです。締め切られた内海は、現在の状況では干拓されずに淡水のアイセル湖となっています。堤防の上は高速道路A7号線。10kmほど走ると休憩所があり、展望台から風景を眺めることが出来ました。オランダは国土の4分の1が海面下。「神は世界を作ったが、オランダ人はオランダを作った」の言葉を実感します。
 全長30kmの大堤防を往復して16時。オランダ土木技術をいちおう体感したので、いま来た道を折り返します。A7号線を南下し、アムステルダムを通過して近郊にあるナールデンに向かいました。
 ナールデンは17世紀に建設された星型の濠に囲まれた城塞都市で、「ヨーロッパ歴史都市賞」だかを受賞しています。星型の城塞と言うと函館の五稜郭を思い出します。五稜郭は町の中に星型の城塞ですが、こちらは都市全体が星型の濠に囲まれてます。予定より遅い18時に到着。暗くなるまで約1時間しかなかったのが残念です。

【9/26】


 昨夜、ナールデンを遅くまでうろうろしていたので、ライデンのホテルに着いたのは23時頃になっちゃった。サマータイムで19時頃まで明るく、日没後に宿泊地へ移動というパターンだと、どうしても夜更かしになっちゃいます。
 8時に起床。朝食は日本にいるときに比べてたっぷりです。
 今回というより、ここのところよく利用してるホテル・イビス。シングル75ユーロでした。アムステルダムの105ユーロに比べると安いけど、円換算で12000円。為替がずいぶん高く感じます。物価も高いのかなぁ。ポルトガルとかは50ユーロぐらいだったような気がします。
 さて、ライデン。16世紀にスペインとの独立戦争のとき、市民が勇猛果敢に戦って独立を勝ち取ったことで知られています。その時の恩賞として設立されたのがオランダ最古のライデン大学。榎本武揚もここで学んでいます。
 シーボルトが日本から持ち帰った資料を展示する記念館をはじめ、見所も多く、石畳の続く旧市街は散策に最適でした。
 せっかくオランダまで来たからには、一部マニアの間で話題になっている「スケベニンゲン」という町の看板を写真に収めようかとも思ったんですが、ライデンでゆっくりしすぎたので次回にパス。ロッテルダムを経由し世界遺産キンデルダイクを目指すことにしました。
 昔ながらの風車はオランダに約1000基残っているそうで、そのうちキンデルダイクに19基の水車群があります。
 キンデルダイク訪問のもうひとつの目的は造船所。幕末に咸臨丸が建造された地でもあるのです。
 18時30分にキンデルダイクを出発。この時点でまだ泊まる街を決めてません。とりあえずオランダ南部を目指すことにしました。
 途中でガソリンを補給。リッター1.469ユーロ、だいたい235円。オランダは後払い方式でした。
 19時30分で、このくらいの明るさ。
 A58号線を東に向かい、ホテルを探しましたが、満室だったり街にホテルがなかったりで宿が決まりません。工業都市アインドホーペンにホリデイインを見つけたら200ユーロと言われてパス。21時をまわると、ちょっと焦ってきます。22時をまわると車中泊が頭をよぎります。
 23時、やっとオランダ南東部の小さな町ヘルモンドに部屋を見つけることが出来ました。腹ペコです。荷物を置いて街に出たら、レストランはもうすべて閉まっていました。ホテルのバーでビール飲んで就寝。お腹ぺこぺこ・・・

【9/27】


 まったく予備知識なしのヘルモンド、朝の散歩で見かけた公衆トイレです。もちろん男性の小用だけど、足が短いと辛いかも。しかも歩道にポツンと立っているので丸見え。
 自転車王国オランダは市街地だけでなく、郊外に出ても自転車道が整備されてました。聞いたところによると、自転車を交通の一手段として成立させるために、教育と資本整備に30年を要したそうです。
 参考 (財)シマノサイクル開発センター → 
 ニューネン(Nuenen)。ゴッホが1883年から85年まで住んだ村です。あの「馬鈴薯を食べる人々」が描かれたのもニューネンだそうです。
 資料館に行ってみたら「11時からなんだよね。あt30分あるから、ゆかりの地をみてきてごらん」と地図をくれました。
 この資料館ではこの村で描いた絵や資料が展示されていました。
 ニューネンからアイントホーペンに出て高速道路A2号線を南下。マーストリヒト手前にあるトールンに立ち寄りました。「修道女の町」として有名だそうで、街の建物は壁が真っ白です。一瞬、オランダにいることを忘れそうになる町並みでした。
 帰国便は本日21時05分発。19時には空港に着いていたいなぁ。時計を見ると14時前。フランクフルトまでは約300km。マーストリヒトの街に立ち寄っていると時間的に厳しそうです。オランダ最古の橋見学は残念ながら次回に回すことにし、ケルン経由でフランクフルトへ疾走しました。

【9/28】


 帰りの飛行機は11時間で成田に到着です。ニシン食べてない、コロッケ食べてない、ジュネヴァ飲んでない。やり残しもいろいろありますが、大堤防は好天に恵まれて満足です。アムステルダムは1週間くらい滞在すると、なお面白そうだなぁ。
←大堤防の記念コイン 国土創造が誇らしげなデザインです。
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