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ポルトガルとバスクへ 1
次はポルトガルとバスクへ2


    1. 成田 → アムステルダム → マドリード
    2. マドリード → リスボン
    3. リスボン → シントラ → ロカ岬 → リスボン
    4. リスボン → アルカサル・ド・サル → グランドラ → ラゴス → サグレス
    5. サグレス → ラゴス → シルヴェス → リスボン
    
6. リスボン → マドリード → パンプローナ → サングエサ
    7. サングエサ → ロヨラ → サン・セバスチャン → バイヨンヌ
    8. バイヨンヌ → サン・ジャン・ピエ・ド・ポー → パンプローナ
    9. パンプローナ → マドリード → セゴビア → エル・エスコリアル
   10. エル・エスコリアル → マドリード
   11. マドリード → フランクフルト →
   12. → 成田



【9/12】


 シートベルトも着用し、定刻通り成田を離陸・・・
 と思ったら誘導路まで出た飛行機がふたたびエプロンに戻っちゃった。
 部品交換が必要とのことで、いったん地上に降ろされてしまいました。

 アムステルダムに2時間遅れで到着。
 えっ? マドリード便の出発時間を過ぎてるじゃん。
 やばいなーって思っていたら「接続便も遅れているので今日は間に合います」と係員に言われました。
 「今日は」ってどういう意味だろう・・・
 その意味は後日知ることになるのでした。

 スキポール空港で両替する余裕もなくイベリア航空の機上の人に。
 結局、マドリードには1時間遅れの23時に到着しました。

 遅い到着となってしまい、やっぱり両替所が閉まってる。
 一文無し・・・
 空港の外の状況が不案内なので、しかたなくキャッシングで100ユーロを手にしました。

 空港から市内へは、前回はなかった地下鉄で1.1ユーロ。
 「深夜の利用は避けましょう」とガイドブックにあった地下鉄でしたが、綺麗だし、到着客の利用も多く、怖い印象はありませんでした。

 車中では周りの皆さんも路線図とにらめっこ。
 途中で2回乗り換えて市中心部ソル広場のベストウエスタンに真夜中の到着となりました。

 日航の機内から持ってきちゃったワインの小瓶をあけて爆睡。

【9/13】


 リスボンへはネットで格安航空券を探して、昼過ぎのエア・ルクソール便を予約しました。2時間前にチェックインするように書いてあったので、午前中をマドリード市内の散策にあてました。

 マドリードのへそ、ソル広場から緩い坂を下ってプラド美術館の裏にあるヘロニモス教会へ。
 戦国時代に天正遣欧使節団の少年たちが当時のフェリーペ2世に謁見したところです。ここで日本人というものを初めて南蛮人が見たわけです。

 プラド美術館は月曜日でお休み。まぁ、ゴヤの絵はいつか日本で見ればいいかな。

 大通りでは街路樹がスプリンクラーで散水されてます。気持ちのいい大通りの木陰を北上し、アルカラ門を経由しコロン広場へ。昼前になったので、ホテルへ戻り、チェックアウトして地下鉄で空港へ向かいました。

 マドリード・リスボン往復の正規運賃は571ユーロ。
 ネットで予約した格安チケットは186ユーロ。
 なんでこんなに安くなるのかよくわかりませんが、エア・ルクソールのカウンターに行くと、ちゃんとチケットを渡してくれました。

 離陸後約1時間でテージョ川とリスボンの街が窓の下に見えてきました。着陸態勢に入っていたので、みつからないようにこっそりデジカメ。

 ポルトガルでの足はレンタカー。AVISが用意してくれたのは1.2リッターのオペル・コルサでした。リバースギアの入れ方を確認して(上に引っ張ってからリバースに入れるタイプでした)いよいよ出発です。

 AVISでくれた地図でホテルへの道を頭に入れてリスボン市街へと走り出しました。が、予想以上に空港と市街は近く、曲がるべき角を過ぎてしまったようです。道はテージョ川に向かって下り坂。まぁいいや、いったん河畔に出てから戻ろうなんて安易に考えましたが、旧市街は一方通行が多く苦労しました。

 リスボンのお宿はホテルアイビス。(リスボンらしく古い情緒のあるホテルも魅力的でしたが59ユーロの値段と快適性を選びました)荷物を部屋に置いてさっそく街へ繰り出すことにしました。

 メインストリートを歩いていくと観光客がいっぱいそぞろ歩き。カメラを肩にかけた無用心な格好でみんな歩いてます。いい雰囲気で肩の力が抜けました。

 リスボンは坂の街。左右の丘をケーブルカーが上がったり下がったりしてます。ケーブルカーを写そうとする観光客と乗ろうとする観光客で混雑しているグロリア線に乗ってみました。1.1ユーロ。線路脇を歩いて登れますが息があがりそうな急坂でした。

 丘の上から城壁や市街を見下ろし、夜まであちこちうろうろ。石畳の道、石造りの家とカンテラの灯り。情緒たっぷりで郷愁の感じられる街です。

 9時を回ってからファドの店へ。予約無し、一人で大丈夫かなぁと心配でしたがア・セヴェーラ(一流どころらしい)のおじさんはOK、OKと言って席に案内してくれました。

 初めて生で聴いたファド。メロディは哀しげですが声量があり、心がうたれました。数曲歌ったあとCDを売りに来たので想い出にと購入したらサインしてくれました。CDは20ユーロ、お店はミニマムチャージ18ユーロでした。

 ガイドブックには「22時を過ぎたらタクシーで帰るべし」と書いてあります。時計を見たら24時前、街は危険な雰囲気じゃなさそうなので歩いてホテルへ戻りました。

【9/14】


 今日はいちにちリスボン近郊。
 まずは市電に乗れば約30分、リスボン中心部から西へ6kmのベレン地区に車で向かいました。

 リスボン市内は朝のラッシュなのかロータリーも混雑していましたが、ベレン地区までくると渋滞と喧騒から離れるようです。

 海沿いのバイパスから市電が通っている旧道に折れると、ジェロニモス修道院が見えてきました。駐車場に車を停めて修道院と、それに隣接する海洋博物館を見学。白亜の修道院は世界各地の植民地から搾取した財で建てられたといいます。海洋博物館は、その遠洋航海の歴史を伝えるもので、管轄は今もポルトガル海軍みたいでした。

 少し見学疲れたので、ベレン名物というよりポルトガル銘菓であるパステイス・デ・ナタで小休止。エッグタルトですね、おいしかったです。

 続いてテージョ河畔にあるベレンの塔と海洋記念碑「発見のモニュメント」へ。海洋記念碑の内部には、ポルトガル人が海洋に乗り出し、西欧人として世界各地を発見した歴史が展示されていました。別に発見じゃなくて知らなかっただけなんだけどね。日本についても1543年に発見と書いてありました。

 もっともマカオを植民地としたポルトガルが金銀財宝の噂を聞いて、ローマ法王の許可のもと、植民地にしようと日本をめざしたそうなので、漂着どころじゃありません。南米やインドでの搾取を考えると、もしかして元寇以上の危機だったのかな。

 などと、ベレンでは日本とのつながりを考えると面白くて時間を費やしてしまいました。

 予定では、アルコバサ、バターリャ、トマールなどの世界遺産都市に足を伸ばそうかと思ってたのですが時間的に断念。近場の世界遺産都市であるシントラを訪れることにしました。

 高速道路を約1時間、避暑地といった感のあるシントラに到着。ちなみに高速道路は6車線の立派なものでしたが無料でした。シントラの街からさらに山道を進み、ペーナ宮殿へと向かいました。

 城の麓に路上駐車してミニバスで山上へ向かいます。この城、あのノイシュヴァンシュタイン城を造ったルートヴィヒ2世のいとこの城だそうですが、イスラム、ルネッサンス、色彩もぐちゃぐちゃと、なんとも奇異に思えました。

 城を見上げるだけではつまらない。谷を挟んだ反対側の岩山から全体像を見たくなりました。ミニバス乗り場から、谷に下るそれらしき小径があったので、試しに歩いてみると、案の定、反対側の岩山に登ることができました。
 城の全体像を見ると、やっぱり奇異でした。

 城から戻り、シントラの街を散策していると6時を過ぎてしまいました。
 ここからヨーロッパ最西端であるロカ岬までは確か1時間程度。大西洋に沈む夕陽もおつなものかと思い、行ってみることにしました。

 ポルトガルの運転は荒っぽいと聞いていたのですが、確かに荒っぽい。いちおう一般道は制限速度90キロのはずですが、シントラからロカ岬まで狭い道ながら20分で着いてしまいました。

 日没に余裕をもってロカ岬に到着。話に聞いたとおり大西洋から吹きつける風が強く、ウインドブレーカーが活躍しました。ユーラシア大陸の果てに夕陽が沈んだのは7時半過ぎでした。

 リスボンへ戻るコースは海岸沿いのルートを選んでみました。
 途中にある名も無い集落も、オレンジの屋根、白い壁といい雰囲気。
 ライトアップされたベレンの塔などに寄り道して9時過ぎにリスボンに到着しました。夜更かしの街はまだまだ活気があります。

 リベルダーデ通り沿いのレストランで魚料理を頼むと、鮭、鰯、銀鱈などの焼魚が満載、ワイン込みで17ユーロでした。

【9/15】
 朝、チェックアウトしようとして愕然。クレジットカードが割れているのに気がつきました。どうやら昨日、シントラで岩山登りした時にポケットの中で割れてしまったようです。やばい・・・
 スリ対策としてもう一枚カードを持ってきたからいいようなものの(←メキシコの教訓)、そうでなければ真っ青になるところでした。

 気をとりなおし、ユーラシア大陸最西端のサグレス岬を目指します。
 サグレス岬、沢木耕太郎の「深夜特急」で、著者がその旅を終りにしようと思ったという岬です。

 リスボン市街をあとにテージョ川を渡ります。
 98年の万博に併せて架けられたヴァスコ・ダ・ガマ橋は全長18km、橋の長さにもびっくりですが、テージョ川の川幅が東京湾以上ということにも驚きです。せっかくなので万博会場跡地から見上げたり、対岸まで渡ったあと往復したりしました。

 ヴァスコ・ダ・ガマ橋で午前中を費やしてしまいました。何やってるんだろう・・・
 気を改め高速道路A2を一路南下します。
 リスボンを離れると交通量もめっきり減って快適な走り。我がオペルコルサ(ヴィータ)も頑張って150キロ走行です。でも悲しいかな、コルサは一生懸命なのに、みんながあっという間に抜いていきます・・・。諦めて昨夜買ったファドのCDを聴きながらマイペース走行。

 途中、アルカサル・ド・サルとグランドラという村で小休止。小さな村では英語が通じるわけも無く、こんにちは(ボンタルデ)、いくらですか(クアントクスタ)の最小限ボキャブラリーでパスティスとコーヒーの休憩。

 南北に走る高速道路A6が大西洋に突き当たりました。この先にはモロッコ、アフリカ大陸があると思うと遠くに来たなぁという実感が湧きました。アフリカいってみたいな。

 西へ伸びる高速道路E1を走り、最後の街ラゴスからは2車線の一般道。サグレス要塞と書かれた案内に従って最後のロータリーを回ると、そこがサグレス岬でした。4時半に到着。岬の先端は16世紀に造られた要塞兼航海学校の跡で、礼拝所や灯台が点在した断崖状の平らな岬でした。かつて睨みをきかせた砲台も残っています。

 岬の突端で感慨に浸ろうと思っていたのですが、いざユーラシア大陸の突端に立ったら、砲台におっちゃんが座ってのんびり釣りをしていました。おっちゃんは人懐っこい笑顔、沢木耕太郎のように旅を終りにしようという気にはなりませんでした。

 まだまだ明るいので、サグレス岬と対をなして伸びるサン・ヴィンセンテ岬へ。テレビの「深夜特急」では、こちらの岬がフィナーレになっています。断崖に立つ灯台が印象的でした。

 再びサグレス岬に戻ると空の色が徐々に赤みを帯びてきました。幸い雲もありません。断崖に座って大西洋を眺めていたら、水平線に大きな夕陽がゆっくりと沈んでいきました。

【9/16】


 岬の付け根にあるホテル・バレエリアで一泊し、もう一度朝のサグレス要塞とサン・ヴィンセンテ岬を訪れました。要塞にはポルトガル海軍学校の生徒たちが見学に訪れていました。

 岬をあとに港町ラゴスへ。ラゴスの町は白い家々が狭い路地に並び、ポルトガルと言うより、もうモロッコにいるかのような雰囲気。教会前のカフェで飲んだカフェコンレッチェがおいしかった。(1ユーロ)ビーチでは降り注ぐ太陽の下で日光浴している人がいっぱいいました。

 田舎道を走ってみたくなり、ラゴスからシルヴェスへ。シルヴェスはイスラム時代の古城を中心に白い家が固まっている素敵な村でした。

 2時過ぎにメシネスという村から高速道路A2でリスボンへ。オペルはアクセルべた踏みで150キロ。昨日と同様BMWやAudiに抜かれながらも4時にはリスボンまで戻ることができました。

 高速料金は約250kmで15.25ユーロ。
 ポルトガルの高速道路は無料の国営路線と有料の民営化路線があります。ユーロ統合後、各国から資本を呼び込むため高速道路などインフラの整備が進められているそうで、九州と四国をあわせたくらいの国土に高速道路は3000kmだそうです。 
 テージョ川にかかる4月25日橋を渡るとリスボンの旧市街。橋区間の料金は1.1
ユーロと、市電やバスと同じ料金でした。

 渡ってからUターンしてもう一度対岸へ。小高い丘の上に立つキリスト像が展望台になっているので、2.5ユーロ払って登ってみました。4月25日橋とリスボンの旧市街が一望の下に見渡すことができます。絵葉書のような風景でした。

 カシーリャスの港からフェリーに乗船しテージョ川を渡ってみました。10分ほどの船旅でしたが、船上からリスボンの街を眺めることができ、大航海時代のポルトガルにちょっと触れたような気になりました。

 リスボンにアルファマ地区と呼ばれる古い家並みの残る地区があります。200年前の大地震で崩れなかった地区だそうで、丘の斜面にへばりつくようにイスラム色のアパートが密集しています。テージョ川に面した平らな地区と違い、地面が岩質のため崩れなかったのかな。

 迷路のように入り組んだ路地を歩いていると、迷宮に迷い込んだかのようです。サッカー中継をしている酒場の前にはおじさんが集まり、洗濯物がはためく窓の下ではおばさんが井戸端会議。
 やがて陽が落ちてランプが灯りました。アルファマの夕景は、迷い込んだ異邦人をもほっとさせるような、セピア色の風景でした。
  
 ポルトガル最後の夕食は雑炊(アローシュ)にしようと思っていました。

 海岸沿いの道路に並んだテラスのレストラン。手書きのメニューが書かれた看板を眺めながら歩いていくと、店のおばさんと目があいました。
 Arroz de Marisco、10ユーロを頼むと、一人前だよねと確認したにもかかわらず、どう見ても3人前はありそうな大盛りおじやが出てきました。
 エビ、イカ、アサリなど満載で、あつあつの雑炊。リゾットではなく雑炊、おいしかったです。残してごめん。

 ポルトガルは遥かな異国にもかかわず郷愁が感じられ、東洋人の血が混じっている人も多いせいか、とても親近感の持てる国でした。

 言葉の通じない国で出会った何か、プライスレス・・・かぁ
 ちなみに、割ってしまったのはマスターカードではなくビザカードでした。 
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