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「竜馬がゆく」を訪ねて 江戸 |
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桶町千葉道場のあった付近 |
江戸にのぼった龍馬が入門した桶町の千葉道場は、東京駅の近く、現在の八重洲ブックセンター裏あたりだそうです。 |
北辰一刀流千葉周作道場跡 |
お玉ケ池跡 |
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北辰一刀流の千葉周作率いる玄武館跡。旧千代田区立千桜小学校の跡地で、大妻女子高校や錦城学園高校が校舎建替えで使っていた場所です。
千葉周作は1822(文政5)年、上州高崎で北辰一刀流を興し、品川に玄武館を開きました。1825(文政8)年に神田お玉が池に移り、その後水戸藩に召抱えられました。
京橋アサリ河岸の桃井春蔵、麹町の斎藤弥九郎とならんで江戸の三大道場といわれ、天下の剣を三分していました。 |
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雑司が谷霊園 |
龍馬が学んだ桶町の千葉定吉は千葉周作の弟で「小千葉」と言われていました。
千葉周作、定吉、長男の重太郎らは、雑司ヶ谷霊園に眠っています。 |
坂本龍馬室の文字 |
さな子の墓 |
小千葉家の長女さな子の墓。
甲府市の清運寺に分骨されて眠っています。
幼いころから貞吉に剣を仕込まれ免許皆伝の腕があるといわれ、龍馬の死後も独身を貫きました。
動乱の世が終わったら結婚しようと思っていたのは、やはりさな子ではなかったのかなぁ。
墓石の裏には「坂本龍馬室」と刻まれていました。 |
勝海舟邸跡 赤坂 |
龍馬が重太郎とともに暗殺をもくろみ訪れた赤坂元氷川町の勝海舟屋敷跡。 |
軍艦操練所跡 築地 |
解説板 |
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築地市場の近くに残る幕府の軍艦操練所跡。
龍馬は勝海舟に幕府の非公開施設であるこの操練所の施設を案内され、海軍力というものを指南されました。
龍馬と海舟、人の縁の不思議さを感じます。 |
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おりょうの墓 |
横須賀、大津の信楽寺にあるおりょうの墓。
「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。 |
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