「竜馬がゆく」を訪ねて  長崎
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亀山社中の跡
 江戸時代唯一の貿易都市、長崎市の港を囲む高台の中腹に亀山社中はありました。
 ポルトガルの宣教師が布教と貿易の拠点として、平戸、横瀬、福田浦と変遷を重ねて辿り着いた長崎。そういえば船上から眺めた長崎の街並みは、ポルトガルのリスボンに似ているような気がします。

 「亀山社中ば活かす会」→クリック

ブーツ
 亀山社中のすぐ近くに「龍馬のブーツ像」があります。亀山社中の創設130周年を記念して「亀山社中ば活かす会」が募金を呼びかけて建立されたものだそうです。
 台に登ってブーツに足を入れ、長崎の街を眼下に見下ろすことができるようになっていました。でも、でかかった。こんなに大足なわけはないと思うんだけど。

亀山社中へ

龍馬通り
 亀山社中に至る長い石段は「龍馬通り」と名付けられています。汗を拭きつつ一段ずつ登りながら、ここを駆け登った白袴の志士たちに想いを馳せました。

龍馬像

海援隊旗
 亀山社中から南に歩くと風頭公園に至ります。
 岬のように突き出た一角に街を見下ろすように龍馬の像が建っていました。

竜馬がゆく の碑
 龍馬の像と相対するように司馬さんの文学碑が建っています。

   船が長崎の港内に入ったとき、
  竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、
  「長崎は、わしの希望じゃ」
  と、陸奥陽之助にいった。
  「やがては日本回天の足場になる」
  ともいった。
        司馬遼太郎『竜馬がゆく』より

土佐商会跡
 中島川にかかる石橋を眺めながら中心部まで下ると西浜町に後藤象二郎が主宰した「土佐商会」の跡に碑が建っていました。

料亭 花月
 江戸時代に江戸の吉原、京都の島原と並んで三大花街と呼ばれた丸山町にある料亭花月。長崎県により史跡に指定されています。

グラバー邸
 グラバー園は以前も訪れたことがあったのですが、予備知識なしの観光で園内を見て回った前回と違い、薩摩と長州、龍馬たちとトーマス・グラバーの関わりを思い浮かべると興味が尽きませんでした。
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