「竜馬がゆく」を訪ねて  高知
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高知城
 龍馬の足跡を訪ねる旅を生誕の地、土佐・高知から始まることにしました。
 まずは山内一豊の築城による高知城へ。

 土佐は、戦国時代には長曾我部家の国でしたが、関ヶ原で徳川家康と戦ってやぶれ、かわって関ヶ原の功により、遠州掛川六万石の小大名であった山内一豊が、一挙に二十四万石に加増されて土佐に入国しました。このとき長曾我部の旧臣は野におわれて郷士となりました

竜馬生誕の地
 はりまや橋の交差点を西へ折れ、右手に高知城を過ぎると「上町一丁目」。
 上町病院の建物の狭間に「龍馬生誕の地」の碑が建っていました。

 幼い頃の龍馬がべそべそと長泣きをしながらもどってきたのがこのあたり。

桂浜
 桂浜に建つ龍馬像。
 今でこそ高知県随一の名所ですが、高知新聞の資料によると、「大正15年、龍馬像建立へ1人の青年が立ち上がった。当時、早稲田大学の学生だった入交好保。今でこそ数いる幕末の英雄の中でも高い人気を誇る龍馬だが、当時はあまりよく知られていなかった。」とあります。
 懐に入れている右手には何が握られているのでしょう?
 よくクイズにも登場する設問ですが、万国公法やピストルなど諸説あるようです。

 日根野道場にいたころ、お盆や中秋の名月の夜には、なかまとよく桂浜に出かけたとそうです。
 
坂本家墓地

乙女の墓
 坂本家墓地。
 父八平、母幸、兄権平、姉栄、母代わりの姉乙女をはじめとする一族が眠っています。
 坂本家第一墓地、第二墓地に分かれていましたが、平成16年春に訪れたときは宅地造成のために一箇所に集められていました。

 保存を呼びかけているHPはこちら
 丹中山の墓地を守る会

武市半平太旧宅
 高知市仁井田にある武市半平太(瑞山)旧宅
 江戸で桂小五郎、久坂玄瑞など尊皇攘夷派の長州藩士と交流を深め、坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らを集めて土佐勤王党を結成したのが武市半平太。土佐藩参政の吉田東洋暗殺を指令し、一度は土佐藩を勤王に向かわせました。

武市瑞山殉節之地の碑
 いわゆる八月十八日の政変で長州藩が京都から追放されます。これにより、勤王運動が急速に衰退し、武市瑞山も逮捕、投獄され、慶応元年に切腹を申しつけられました。
 高知城近くに建つ碑には「武市瑞山先生殉節之地」と刻まれていました。
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