「竜馬がゆく」を訪ねて  檮原 2
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維新の門群像
 檮原村役場近くの旧和田城に維新の門群像がありました。
 檮原出身の六志士に坂本龍馬と、龍馬とともに脱藩し片腕として活躍した沢村惣之丞を加えた群像で、平成7年に募金により建立されたそうです。
 左より前田繁馬、那須信吾、吉村虎太郎、中平龍之助、
 中央に掛橋和泉、
 脱藩の旅姿をしている沢村惣之丞と坂本龍馬、
 右端に那須俊平の8人が力強い姿で立ち並んでいました。

宮野々番所
 宮野々番所は土佐と伊予の国境である韮ヶ峠麓にある要衝の番所。
 坂本竜馬と沢村惣之丞の二人は、那須親子の道案内のもと、この関所を抜け、さらに韮ヶ峠を越えて伊予の国に脱藩しました。
 竜馬の国抜けの際、関守は眠っていることにして黙認したと言われています。

茶堂 茶や谷
 脱藩の道沿いのみならず、梼原町には多くの「茶堂」が残っています。
 戸も壁も無い小さなカヤぶきの小屋で、津野山を拓いた津野氏を祀ったものとも言われ、後年は旅人を茶菓でもてなす場になったそうです。
 竜馬たちは人目をさけた脱藩ゆえに立ち寄ることはなかったと思いますが、当時の面影を今に伝えています。  

松ケ峠
 茶や谷から道を登りつめた一つめの峠が松ケ峠。
 土佐藩内の最後の番所となります。

脱藩の道
 松ケ峠番所跡を少し過ぎたあたりの脱藩の道。
 檮原から松ケ峠までは林道を使えば車両の通行も可能ですが、林道は松ケ峠から西へ向ってしまうので、県境の韮ケ峠へは歩くしかありません。

韮が峠
 土佐・伊予国境の韮ヶ峠。
 道案内の那須親子とは、この峠で別れ、竜馬は伊予へ下っていきました。
 もっとも、竜馬が越えたという峠については、宮野々番所から西へ向った九十九曲峠とする説もあり、真偽はいまだ論争中のようです。
 どちらも数多くの志士たちが行き来した峠には変わりありません。

肱川あらし展望台からの長浜
 龍馬と沢村惣之丞は、脱藩ののち大洲を経て長浜に向かいます。
 長浜の豪商、富屋金兵衛宅で一泊したのち、長州の三田尻へと伊予灘を渡っていったのです。
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