たけちん認定 土木遺産  【東京の石橋】

東京 浅草寺 石橋
 梅雨の中休み、7月21日に浅草寺へお参りをしました。
 浅草寺の縁起によると、寺の創建は推古天皇の時代。以来、長く庶民の観音信仰を受けてきました。
 江戸時代になると、徳川秀忠により日光東照宮と同時に浅草寺境内に東照宮が造営されました。このとき、日光東照宮の神橋のように東照権現社の神橋として造られたのが、この石橋で、「淡島の石橋」とも呼ばれて呼ばれています。
 東照宮のほうは1642年の火災で浅草寺本堂とともに焼失してしまいましたが、この石橋は、現在東京に残る最古の石橋として当時の姿を今に伝えています。
 橋長7.2m、 幅2.2.m、1618年架橋

東京 小石川後楽園 円月橋
 8月5日、飯田橋で下車し、小石川後楽園を訪れました。
 今年は猛暑。夏の公開時間延長のおかげで、5時を過ぎてからの入園でしたが、夕涼みがてらというわけにはいきませんでした。
 目的の円月橋は園内でも奥まった場所にあります。清王朝成立の際に亡命し徳川光圀に招かれた明の儒学者、朱舜水の設計によるものだそうです。
 水面に写る影が満月の形になることからこの名がつけられたそうですが、夕方ではよくわかりませんでした。
橋長11.7m、 アーチ径間4.7.m、1660年頃架橋

日本橋
 最初の日本橋は木橋で、江戸幕府を開いた徳川家康により1603に架橋されました。その後、火災などによる架替えが幾度となく行われました。
 19代目となる現在の石橋は、明治44年(1911)に架橋したものだそうです。
 橋長49.5m、幅27.5m、親柱に立つ麒麟と獅子の像が、ただものではない雰囲気です。また、橋名板の「日本橋」の文字は徳川慶喜によるものだそうです。
皇居正門石橋
 皇居一般参賀の折、普段は渡ることの出来ない二重橋を渡ってきました。皇居の正門にかかる石橋は、明治初期に木橋から橋本勘五郎の手により石橋に架け替えられ、さらに明治20年に石造2連アーチ橋として架け替えられたものだそうです。
 橋長35.2m、幅14.5m
 一方、下の写真は石橋の奥にかかる正門鉄橋。かつて木橋だった時代に、桁が二重構造であったため「二重橋」と呼ばれていました。(昭和38年に鉄橋に架け替え) というわけで、正確をきすと現在では二重橋という橋は存在しないことになりますが、手前の「皇居正門石橋」と奥にかかる「正門鉄橋」を総称して「二重橋」と呼ぶことが宮内庁含め一般的なようです。
常磐橋
 日本銀行旧館の前、江戸城の堀であった日本橋川にかかる常磐橋です。そもそもは1590年(天正18年)に常磐御門の前に木橋が架けられました。維新後の明治10年、通潤橋や霊台橋を手がけた肥後の名石工、橋本勘五郎が明治政府により東京に招かれて、常磐御門の石を用いて架けたもので、東京に現存する肥後石工の手による石橋のなかで最古の橋です。現在は歩行者専用になっていますが、場所が一等地のわりには土木遺産として地味な扱いを受けている感じがしました。木橋のときには「常盤橋」だったそうですが、皿では割れて縁起が悪いということで「磐」の字になったそうです。隣にかかる新しいほうの橋は昭和元年に架けられた「常盤橋」で、ちょっとややこしいです。
長さ31.6m・幅10.8m
 ⇒千葉の石橋