たけちん認定 土木遺産  【大分 大野川流域の石橋】

明正井路
 2005年11月4日、竹田の城下町を散策後、白水堰堤に向かう途中で訪れました。
 竹田の武家屋敷の南にあるトンネルを抜け、県道8号を進むと、県道を跨いでいる6連の石造りアーチ橋が眼に飛び込んできました。
 この石橋は、明治に計画され大正8年に完成したので明正井路と呼ばれているそうです。
 橋の長さは78m、石橋の水路橋としては日本一だそうです。
 やぶ漕ぎして橋の上部に登ってみると、思った以上の水量が流れていました。


仮屋橋(安政橋)
 2009年4月19日、現存する国内最古の鈑桁橋である国道10号の明治橋を訪れたら、その100mほど上流に、端麗な石橋を見つけました。
 ここにはもともと万延元年(1860年)に架けられた安政橋という橋がありましたが、大正3年に崩壊したため、大正6年に再架設されたのが、この仮屋橋だそうです。
 道路・水路が併用された石橋で、橋長は29m、径間は23m。


虹澗橋
 仮屋橋のある野津町からいくつかの磨崖仏を巡り、三重町と野津町の境にかかる虹澗橋を訪ねました。
 この石橋が架けられるまで、三重川の谷は物資を背負っては崖を下って登るという「柳井瀬の渡り」と呼ばれる難所だったそうです。
 このため、臼杵や三重の豪商が私財を投じて、文政7年(1824年)にこの石橋を架けたそうで、当時としては最大の石造りアーチ橋だったそうです。
 その後160年以上も幹線道路の重要な橋として現役でしたが、昭和63年に新虹澗橋が架けられて旧道となり、ご隠居さまに。平成15年には残念ながら亀裂が見つかって自動車の通行は禁止になりました。
 橋長は31m、径間は25.4m、国の重要文化財に指定されています。

轟橋
 大野川支流の御獄をさかのぼった豊後大野市清川町轟地区に、径間が日本で一番と二番の石橋が並んでいます。
 2連石橋の轟橋は高さも27mと日本一。竹田営林署の軌道橋として架設され、現在は道路橋として利用されています。
 その径間は長いほうが32.1m。
 わずか80m下流には、日本第二位の出合橋が架かっています。
 そのわりに、2つの石橋がメジャーじゃないのは、比較的新しいからでしょうか。この轟橋は、昭和9年の完成だそうです。

出合橋
 こちらが日本第二位の出合橋。奥嶽川と轟川が出合うところなので出合橋。径間は29.3mです。
 轟橋より少し古く、大正14年に架けられました。


鳴滝橋
 国道502号に戻り、大野川に沿って竹田方面へ少し走ると、5連の石橋に出会いました。大正11年に架けられた鳴滝橋です。
 橋長は50m。均整のとれた姿をしていました。


若宮井路 鏡石拱橋
 竹田市街から国道57号を大分方面に少し走り、県道47号に左折してすぐ2連の石橋があります。稲葉川の水を朝地町に送る若宮井路という水路のための石造アーチ橋です。
 県道と川、それぞれにあわせてアーチの径が異なっています。明治42年完成。
 ちなみに拱橋とは中国語でアーチ橋のことを言うそうです。

若宮井路 笹無田石拱橋

 鏡石拱橋のあと国道57号に戻り、さらに大分方向へ。トンネルの手前左側に笹無田川を渡る笹無田石拱橋があります。
 明治34年に鉄管サイフォンでつくられましたが、2年後に破裂して損壊。その後、木造の橋を経て、大正5年に石橋として架けなおされました。
 ところが、そのわずか5日後に崩壊!
 大正6年に現在の笹無田石拱橋が完成したそうです。苦労したんだなぁ。
 ちなみに、むぎ焼酎二階堂のCMにも登場しました。
 本当は右に見える豊肥本線の鉄橋を列車が通過するところを撮りたかったんだけど、熊本空港に急がなくちゃいけなかったので諦めました。またいつか撮りに行きたいです。

 ⇒宮崎の石橋