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長崎県西彼杵郡高島町の洋上に浮かぶ端島は、その姿から通称「軍艦島」と呼ばれています。
佐賀藩鍋島氏が採掘を始め、その後昭和49年の閉山まで三菱が操業していた海底炭坑の島です。周囲わずか1200mの島に5000人以上の人々が生活していましたが、閉山とともに廃墟と化しています。
そんな軍艦島を訪れようと軍艦島を世界遺産にする会のHPなどで情報を集めたんですが、上陸は不可能ということです。そこで長崎から不定期に就航するクルーズを利用することにしました。
9月2日16時に出航すると聞き、長崎港から乗船。岸壁を離れ40分ほどすると、その威容が現れました。
もともとの小さな岩礁は、海底を掘ったズリにより埋立てれられて現在の姿になったそうで、「軍艦島」の名は戦艦「土佐」に似ていたためとのことです。終戦直前にはほんとうに間違えられて米軍の魚雷攻撃を受けたこともあったとか。
島は超過密状態だったそうで、大正5年に建てられた日本最初の鉄筋コンクリート高層住宅などが密集していました。 |
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