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10月15日、秋晴れの碓氷峠を訪れました。
碓氷峠の歴史をちょっとまとめてみると
・明治17年 碓氷新道(旧国道18号)が開削
・明治21年 碓氷新道に線路を敷設して馬車鉄道が開業
・明治26年 アプト式を採用した官営鉄道碓氷線が開業
・昭和38年 信越本線新線の開業により、旧線廃止
・明治45年 碓氷線が電化
・昭和47年 国道18号碓氷バイパス開通
・平成05年 上信越自動車道開通
・平成09年 長野新幹線開業に伴い碓氷線が廃止
・平成15年 上信越自動車道4車線化
という変遷を辿った碓氷峠ですが、この第三橋梁(めがね橋)が使用されたのは約70年間です。明治24年にイギリス人技師の指導により建設が始められたそうですが、200万個の煉瓦を約8ヶ月で積んだといいます。東京駅で使われたのと同じ深谷の日本煉瓦製造会社はフル稼働だったんでしょうね。時は日清戦争、日露戦争の直前。日本海側と東京を結ぶ幹線敷設が急務だったんだと思います。
それも今は昔。釜飯で有名な横川駅から碓氷第三橋梁までの廃線敷が散策路として整備されています。これは松井田町が清算事業団から約4900万円で鉄道遺産を購入、その後約5億円かけて整備したんだそうです。あっぱれ松井田町!
で、当日は峠の湯に車を停めて、丸山変電所から第三橋梁までの往復約8キロをのんびり散策しました。アプト式のラックレールはもう存在しないものの、66.7‰の勾配は歩いていても往時を感じさせてくれました。 |
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