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2008年9月20日、道東を訪れました。今回の目的は、旧根北線越川橋梁。はじめて道東を訪れ標津から斜里へ山中を走っていたときに、いきなり目に飛び込んできて記憶に強く残った鉄道遺跡です。そのときは何の構造物か知らず、また近ごろのように土木遺産に着目する風潮もなかったので、その後も何度か素通りしてしまいました。最近気になって調べてきたら、旧国鉄時代に建設途中のまま放置されたアーチ橋というこので、再訪してみることにしました。
網走から斜里へ向かい、さらにウトロ方面と分かれて国道244号を標津方面に向かいます。交通量の極端に少ない国道を快調に走り、気がつくと根北峠。ありゃりゃ、走りすぎてしまったなぁ。峠の先でUターンして再び斜里方向へ峠を下ります。標高490mの根北峠からだいぶ下ると、見覚えのある遺構が目に飛び込んできました。
実は、標津側から来た場合にドーンと現れたので、すぐにわかるだろうと飛ばして走ってたのですが、斜里側から登ってきた場合は樹木に遮られて目立たなかったようです。
さて、この越川橋梁。橋長147m、高さ21.7mの無筋コンクリート造の10連アーチ橋です。昭和13年にソ連の脅威に備えて斜里と標津を結ぶ根北線が着工されましたが、その建設には多くのタコ部屋労働者の犠牲を伴ったそうで、橋脚のなかには人柱も確認されるともいいます。その後、戦争により鉄道敷設が中断し、昭和32年に斜里と越川の間が部分開通しました。しかし、越川以東の残区間が未完成のまま昭和45年に廃線になり、昭和13年に完成していたこの橋梁も放置になっています。ちなみに丸森線に次ぐ国鉄第二の赤字路線とのこと。廃線になって数年後の昭和48年に国道建設の邪魔になるということで中央2アーチが取り壊されました。
結局、列車が走ったことのない越川橋梁(正式名は第一幾品川橋梁)は国道で分断されていますが、笹やフキを掻き分けながら幾品川の川面まで下りて見上げると、堂々たる姿を見せてくれました。
でも、国道から斜面を少し下っただけというのに、幾品川の周囲は手付かずの自然のまま。ヒグマの襲撃を描いた「羆嵐」を読んだばかりだし、ここはまさに生息域だと思うと、かなり怖かったです。
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