go to top 区切り打ち その11

87番長尾寺から1番霊山寺まで 
& 高野山、東寺


13年6月9日〜6月10日

通算49日め 13.06.09

女体山
 前日の夜、高松に到着し、瓦町のビジネスホテルアサノに投宿。早朝6時25分発の琴電に乗車し、長尾の駅に7時に着いた。5日振りの長尾寺、無事結願を迎えられるように、まだ静かな境内でお参り。7時半に長尾の街をあとに歩き出す。しばらくは県道を進み、塚原橋から旧道に入る。正面の山塊が徐々に近づき、里道もゆるやかに高度を増していく。

 1時間ほどで前山ダムの分岐点に到着。あの有名(?)な「車道直進2時間50分、女体山越え1時間余分にかかる登坂峻険絶景感動」の道標を目にする。
 ここまで来たのだから苦しいと言われる女体山を越えることにするが、とりあえず直進しダム脇のへんろ館を見学する。古い納経帖や遍路の歴史等が展示されていた。お茶の接待を頂きながら、昭和初期に回った祖父母の様子を想い描いた。僕もここまで来たよ。

 ダム湖の南側の県道から脇道を通り、来栖の集落手前で北岸の道に合流。渓谷に沿って舗装路を進むと、譲波からは山道となった。
 峠まで登りつめると谷向こうに女体山が見えた。一旦、眼下に見える太郎兵衛館まで急坂を下り、改めて女体山を目指す。今度は階段状の急な登りが続いた。8割方登りきると、足元に今歩いてきた前山ダムをはじめ、讃岐平野が広がっている。眺望を楽しみながら歩き、さらに何度か折り返すと手摺つきの急登が現れる。露出した岩を足がかりに登り詰め、女体山山頂。こんどは南斜面を軽快に下っていく。

 「結願」と書かれた札が多くなってきた。途中で折れて奥の院にお参り。再び遍路道に戻り、さらに下っていくと眼下に伽藍が現れた。第88番大窪寺、ちょうど12時に境内に降り立った。

切幡へ
 「よう頑張ったね、ご苦労さん」結願寺と書かれた朱印を重ね押ししながら、納経所の方が微笑んでくれた。大師堂の隣には数多くの金剛杖を納められていた。居合わせた方々とカメラのシャッターの押し合い。みんな良い顔してた。
 門前の野田屋に入り、「天ざるそば」を奮発。ひっそりお祝いをした。950円也。

 と、無事八十八ケ寺を打ち終え、そこそこの感慨に浸ったものの、道程はまだ40km続く。14時半、大窪寺より歩き出す。ほどなく車道から離れ、遍路道となる。これがいよいよ最後の遍路道らしい遍路道かもしれない。振り返ると女体山の岩峰が、屏風のようにそびえていた。

 再び車道と合流、思いのほか開けた2車線道路を進む。歩道脇で古い石仏が微笑んでいた。
 懐かしい雰囲気のする長野分校を過ぎ、大影からは日開谷川に沿った県道を下る。ゆるゆると、どこまでも下るのみ。大窪寺を打ち終え、何か精神的に変化が起きるかと思った。でも再び歩き始め、血液が頭より足脚のほうに配分されているのだろう。無思索にだらだらと下る。
 途中で畑仕事していたお婆ちゃんが、畑から大根を3本引っこ抜いてお接待してくれた。土のついたままの大根を下げて歩く。

 しばらくすると、道の彼方に徳島自動車道が見えた。高架橋の向こうには吉野川のような雰囲気。去年の夏、歩き始めに見た景色と重なり、「四国を一周したんだー!」という実感が始めて湧いてきた。ちょっと感動。
 石造りの大きな常夜燈を目印に東へ折れ、切幡寺方面を目指す。18時半、切幡寺下に到着。今日はここまでとし、鴨嶋のホテルに移動した。45231歩。

通算50日め 13.06.10
 いよいよ歩き遍路最後の一日となった。切幡寺門前より東へ向かって歩く。

 右手に法輪寺が見える。広い田の中に佇んでいる。暑かった夏の日のこと、托鉢をご一緒させていただいた福岡のIさんのこと、いろいろ思い出す。
 それをきっかけとして次々に頭の中に浮かんでくる。お世話になった方々、知り合えた方々、歩きながら見た景色、ふっと浮かんだ考え、その他もろもろ・・・。

 熊谷寺下で、法輪寺へ向かう若い遍路さんとすれ違った。短く挨拶を交わしたけど、気のせいか、ちょっと不安気に見えた。去年の夏の自分が重なった。

 御所大橋を渡ると安楽寺が近づいてきた。きょうは殆ど県道歩きなので、県道に面したお寺さんには報告とお礼の気持ちを込めてお参りすることにする。
 初日に安楽寺で買い求めた修行姿のお大師様キーホルダーは、今も元気に杖に付いている。いつも守っていただいていた気がする。
 

おめかし
 このお礼参りの道は、眼に入る景色ひとつひとつが遍路初日を思い出される。
 また一度開いた頭の中の引き出しからは、遍路中の出来事のみならず、次々と過去の記憶が噴出してくる。あの時ああいう選択をしたっけ、あの時ああいう想いをさせたんだろうな、etc。
 撫養街道を歩きながら、記憶の引き出しの整理を行っていた。

 金泉寺の本堂前で猫が昼寝をしていた。あんまり動かないので参拝の人も「死んじゃったんじゃないの」なんて囲んでいたけど、欠伸と伸びをしたので散っていった。そのまま再び寝込んだ猫をしばらく見ていた。
 極楽寺のお参りを終えると、遍路行も本当にあと僅か。この期に及んで終わるのが惜しくなる。
 見慣れた山門をくぐり、本堂と大師堂で時間をかけてお礼のお参り。
 納経帖には「徒歩」と書き加えてくださった。感慨もひとしお・・・。

 すべてを終え、しかし去り難く大師堂の前でお参りの人たちを眺めていた。
 とはいえ、時計を確認し白装束を解く。きちんと畳みリュックの中へ。苦楽を共にした金剛杖は家に持ち帰るため袋に仕舞った。深呼吸一つ、タクシーに乗り込み徳島空港へ急いだ。

 歩き遍路ノートなるものが霊山寺にあって、出発の日付を記入して歩き出すそうだ。身支度を持参したもので済ませ、納経所を兼ねる売店では何も購入しなかった僕は、そのノートの存在を知るべくもなかった。次回は申し出て記入させて頂こうと思った。      次回!?


成就
◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇
通算51日め 13.08.18

御廟
 東京に戻り、しばらく忙しさにかまけていた。それと正直少し疲れていた。
一度東京に戻ってしまうと大阪まで距離を感じ、また、梅雨入りや記録的猛暑も重なり高野山詣りが先延ばしになっていた。
 そうこうしているうちに、9月に夏期休暇を利用し、母と別格二十ケ寺を回れる機会を得た。(ただし車で・・・)
 そこで、その出発までに、また歩き始めた昨夏から1年過ぎてしまう前に徒歩遍路のお礼参りをさせて頂こうと思った。
 昨秋、阿波で知り合えた大阪のKさん、Sさんも同行して下さるという。

 難波駅で待ち合わせし、3人で南海電車とバスを乗り継いで奥の院へと向かう。阿波で3日間、つかず離れず歩かせていただいただけのご縁なのに、ずっと前から存じ上げていたような気がする。
 御廟で無事に歩かせていただいたお礼を述べ、納経を終える。
 Kさん、Sさんが大阪からお赤飯のお弁当を持ってきてくれていた。ご馳走になる。感涙もの。

 たくさんの方の暖かい気持ちのおかげで、僕なんかでも無事歩き通せたんだろーなぁ、とつくづく噛締めた。 

通算52日め
13.08.19

東寺御影堂
 遍路行の締め括りは京都の東寺御影堂と決めていた。
 四国遍路のガイドブックを読んでも、「お礼詣りは高野山」とする記載ばかり目に付くけど。

 高野山奥の院詣りを終え、昨晩は大阪に投宿。今朝、京都駅に着くと鍋の底のように暑い。真夏の撫養街道を思い出した。
 少しヘロヘロになって東寺の山門をくぐる。どうも杖が無いとパワーが半減するみたいだ。
 御影堂で、最後の般若心経と御真言。
 講堂と本堂にもお参りし、最後の納経を終える。これで本当の意味で結願したように感じた。

 今回の遍路で、自分が劇的に変わるなんてことは無かったし、ある訳もないと思う。
でも、「ありがとう」が自然に言えるようになったことと、なんとなく自分が自然体になった気のすることの2点が、変化といえば変化だろうか・・・。それと、お四国病に見事にはまったこと。
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