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濃尾三州記 |
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名古屋城
3月に常滑へ出張に出かけ、帰りに名古屋に寄り道しました。
名古屋は古くは那古屋と表記したそうで、庄園の名として鎌倉時代にあらわれたそうです。
徳川時代になって那古屋に城が築かれ、表記が名古屋に統一されたそうです。 |
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岡崎城
年末に熊野古道を歩くことになり、東京から車で遠征することにしました。よい機会だったので岡崎で東名高速を降り、濃尾三州記の舞台を訪ねてみました。
東海道有数の宿場町として繁栄していた岡崎の城は明治政府により取り壊されたそうです。現在ある天守閣は昭和34年に復元されたもの。それでも堀や石垣は築城当時の面影を伝えていました。 |
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桶狭間
岡崎城のあとは国道1号を西へ走り桶狭間へ。
日本一有名な合戦場で、日本史を語る上で最重要な史跡の一つだと思います。きっと歴史公園のように整備されているのだろうと思って訪れたのですが、行ってみると住宅に囲まれた小公園といった感じでした。 |
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公園の中に「桶狭間古戦場」と刻まれた数本の石柱が建っていました。
また、今川義元の首を取ったという場所に小さな墓が建てられていました。 |
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桶狭間古戦場跡のすぐ横に、高徳院という寺が建っています。
この高徳院は高台にあり、司馬さんは「地形としては狭間が入りくみ、高所があるかと思えば、馬も沈むような深田などもあったらしい。今川義元はこのあたりで休息したかもしれない」と書いています。
このあと、豊明から伊勢湾岸道に乗り、紀伊半島へ向いました。 |
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清洲城
熊野古道を歩き終え、東京へ戻る途中に立ち寄りました。
織田信長がここから桶狭間に出陣したことで有名ですが、信長が居城としていたのは10年ほどだったようです。
慶長15年(1610)に徳川義直が名古屋城を築いて移ったあと廃城になりました。いまの天守閣は平成元年に再建されたもの。
清洲城を訪れたあとは、再び東名高速に乗って帰京しました。
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高月院
豊橋に用事があったので、そのあと松平郷を訪ねてみることにしました。 岡崎から矢作川を遡り、さらに国道301号を山中に登ります。小さいながら家康を祀る東照宮や松平一族が眠る高月院が静かに佇んでいました。 |
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