信州佐久平みち
次は羽州街道  NEXT  TOP

 上田といえば六文銭。六文銭は真田氏の定紋です。
 司馬さんが訪れたとき六文銭のマークの入った外灯がつづいているアーケードに目をひかれたそうです。
 訪れてみたのですが、アーケードのマークは取り払われていていました。そのかわり信号の交差点名を示す標識に六文銭が描かれていました。六文銭は現在も市のマークなんだそうです。
 国道17号を東へ進むと左側に信濃国分寺跡がありました。
「それにしてもこの公園はひどく、いまの日本人の心の荒みようにおどろく」と記述されていますが、訪れてみると資料館とともに史跡公園として整備されていました。
 国分寺跡から国道17号を東南に進んで海野宿へ。
 うだつを上げた宿場の宿が道路の両側にならんでおり、道の片側に、石積みの溝が流れています。
 海野宿は「馬籠の二ノ舞になりたくない」という反対があったそうですが、昭和62年に伝統的建造物保存地区に指定されて賑わっています。
 続いて少し戻るように別所温泉へ向いました。
 途中、「鎌倉道」という標柱を見つけました。塩田平から佐久、内山峠を越えて鎌倉に通じていたそうです。
 別所温泉にある常楽寺。
「枕草子」にも登場する信州最古の温泉地だそうで「信州の鎌倉」とも言われているそうです。長野善光寺と向き合い、両方にお参りすると御利益があるという北向観音はたいへん賑わっていましたが、常楽寺は散策コースで立ち寄る人が訪れている程度でした。 
 常楽寺の宝物館には、徳川家康が書いたという「日課念仏」が納められています。
 南無阿弥陀仏とびっしり書き込んでいて、ときどき南無阿弥家康と書いてありました。
 別所温泉から山中を南に下り、静かな野倉の集落に寄り道してみました。
 この集落は路傍に素敵な道祖神があることで知られています。いつ建造されたかははっきりしないようですが、縁結びなどで訪れる人も多いんだそうです。
 牧は牧場のこと。御牧は朝廷直轄の牧場のことだそうです。
 「延喜式」によると、御牧は甲斐、武蔵、信濃、上野の四ヵ国にしかなかったそうです。
 司馬さんはここ、信濃を訪れた際に御牧に想いを馳せたらしいですが、場所は絞り込まずに帰路についたようです。 
 御牧ケ原から小諸に向います。小諸の街のある佐久平の背後に雄大な浅間山が抱きかかえるようにそびえていました。
⇒NEXT : 羽州街道