郡上・白川街道
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 司馬さんは岐阜から高岡へと北上しましたが、今回は逆に南下しながら訪ねてみました。
 高岡を出発して砺波、五箇山トンネルを抜けて相ノ倉合掌集落。
 国道に面していないせいか、世界遺産3集落のなかで最も雰囲気があるように思えます。
 五平餅を食べさせるお店もあるのですが、看板とかも白川郷みたいに前面に掲げられていなかった。
 清掃協力費として300円でした。
 相ノ倉から下梨に降りて右折、上梨トンネルを抜けて村上家へ。
 館主が語りべとして上梨や五箇山の歴史を話してくれるそうで楽しみにしていたのですが、訪れた水曜日は残念ながら休館日でした。
 また出直そうと思います。
 国指定重要文化財建築物
 庄川の流れ
 庄川峡、砺波、高岡を流れ富山湾に注ぎます。
 五箇山の菅沼合掌集落
 白川郷に比べて訪れる人が少ないのでしょうか。素朴な感じを受けました。
 ちなみに駐車場は無料でした。 
 行徳寺
「開基赤尾道宗」という石柱が建っていました。
 行徳寺の向かいには司馬さんたちが宿泊した赤尾館が建っていました。
 白川郷
「街道をゆく」の旅ではさらっと通りすぎているようです。
 世界遺産にも登録され、富山側からの高速道路も整備されたためか大変賑わっていました。
 中心の荻町集落は土産物屋や喫茶店に改装されているため、昔ながらの合掌造りのイメージを抱いて訪れると興ざめするかもしれません。
 写真は萩町城址の展望台から。
 「帰雲城は山津波により、城下町もろとも一瞬に消えた・・・」と紹介されています。調べてみました。
 帰雲城主の内島氏は信州松代から飛騨白川郷に移り住んだ武将。この山津波というのは天正13年に起きた大地震で、震源は白川断層と伊勢湾のダブルだったと言われています。大阪や京都でも被害は大きく、近江長浜では山内一豊の幼女が、また木舟城では前田利家の弟、秀継が城の倒壊により圧死しています。すごい地震だったんだなぁ。
 旧遠山家民族資料館
 遠山さんの一族数十名が暮らしていたという典型的な合掌造りの建物。
 昭和43年からは民族資料館として公開されています。
 御母衣湖沿いにある荘川桜。
 ダムの建設に伴い湖底に沈む予定だった2本の桜は、約600m離れた場所に移植されました。
 樹齢450年、40t近いという巨木は元気に湖面を見下ろしていました。
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 郡上八幡の新橋
 子供たちの飛び込みが夏の風物詩です。
 欄干から身を乗り出してみると、思った以上に高かったです。高さ12mだそうですから5階くらいに相当する高さです。
 郡上八幡城へは一方通行の坂道を登って直下まで車で登ることができました。
 「街道をゆく」では売店で売っているニッキについて記述していますが、夕方のせいか売店は閉まっていました。
 城山からは郡上八幡の街と長良川が見渡せました。
「右 飛騨街道、左 郡上街道」の石柱
 今の道路名でいうと
「右 248号、左 156号」です。
 関市の小屋名交差点にポツンと建っていました。
 司馬さんが訪れた時に街道に沿って走っていた名鉄美濃町線は2005年春に廃止になりました。
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