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丹波篠山街道 |
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篠山の街
京都を起点に湖西、舞鶴、福知山をまわって篠山に下ってきました。
篠山の中心部は賑わっており、その中ほどに司馬さんの宿泊した潯陽楼という旅館がありました。旅館の向いは、猪の肉を売る店。 |
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丹波篠山へ 篠山城
徳川幕府の命により、多くの外様大名に普請させて造られました。
石垣には天下普請させられた各藩の名が刻まれていました。写真は○に十の島津の紋。 |
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丹波古陶館
丹波焼は日本六古窯のひとつということで、お勉強のため資料館を訪れました。
瀬戸、越前、常滑、信楽、備前、そして丹波。 |
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立杭の登り窯
篠山から国道372号を西へ進み、上小野原で左へ折れて立杭の里を目指しました。立杭では、現在でも昔ながらの登り窯で多くの作品が造られています。 |
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陶山窯という窯元にお邪魔し、詳しい話を聞かせていただきました。 |
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丹波亀岡城へ
明智光秀が城主でした。その後、今治から天守閣が移築されたそうです。本来は亀山城という名前でしたが、伊勢の亀山と紛らわしいという理由で地名を亀岡と改めるとと同時に亀岡城と呼ばれるようになったそうです。明治10年に廃城になり民間に払い下げられ、現在は大本教という宗教団体の本部になっています。
お祓いを受けないと天守閣や本丸の見学が出来ないそうです。なんだかなーです。 |
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老の坂
国道9号の老の坂トンネル手前(京都からみて)を左に登ります。途中の廃墟と化したラブホテルは殺人事件があって心霊スポットだとか。ちょっと怖いなぁ。 |
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国境の碑 従是東山城国
天正10年、明智光秀が亀山城から本能寺に向かうときに越えたのが、この老の坂です。 |
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老いの坂か国道9号を京都市内に下りてきて、沓掛から大原野神社へ向かいました。
平城京から長岡京に都が遷るとき、藤原氏が自分の一族の氏神として春日式で建立したそうです。 |
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長岡京趾
長岡京の趾を訪ねようと思い、交番で訪ねると「う〜ん」と言って困った様子。商店や住宅の建ち並ぶ一面どこもが広い長岡京の趾でした。 |
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