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長州路 |
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10月15日、3年半ぶりに山口を回りました。
今回は山口宇部空港でレンタカーを借り、左回りで長州路を訪ねることにしました。
10時に宇部を出発し、白壁土蔵の町並みで有名な柳井に立ち寄ってから、折り返して防府市の三田尻へ向かいました。
三田尻は、大阪から下関を経由し日本海経由で蝦夷へ向かう北前船により栄えた地であるとともに、長州藩の軍港でもありました。
長州藩のお船倉跡は、埋立てにより思った以上に内陸にありました。ここから小船に乗って時代の波に漕ぎ出した高杉晋作を思い描きました。 |
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三田尻から国道262号を北上して山口市へ。この国道262号は、三田尻〜山口〜萩を結ぶ街道で、萩往還ともよばれます。
山口では、まず瑠璃光寺へ。毛利氏の前に国主だった大内氏が建立した旧香積寺の五重塔で有名です。毛利氏が萩に移る際に香積寺も萩に移り、その跡地に北方にある仁保にあった瑠璃光寺が移築されました。このため今は瑠璃光寺五重塔(国宝)と呼ばれています。
前回は時間の都合で昼の姿しか見れなかったのですが、今回は陽が落ちてからもう一度訪れ、ライトアップされた塔を堪能しました。 |
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五重塔のたもとに司馬さんの文学碑が建っていました。
「長州はいい塔をもっている、と惚れぼれするおもいであった」の一節が刻まれていました。 |
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湯田温泉で泊り、翌朝、宿のまわりを散歩しました。宿の近くの高田公園は井上聞多(馨)の生家跡だそうで、井上馨銅像や七卿落ちの記念碑、山頭火の句碑などが立っていました。
町のあちこちに足湯があり、10分もつけていたら一日中ぽかぽかでした。
写真は司馬さんの泊った松田屋。幕末に密議の場として高杉晋作や西郷隆盛、坂本竜馬らが宿泊していた宿で、当時の風呂が今でも利用できるそうです。 |
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藩庁門。萩が本拠であるはずなのに山口にあった政事堂と呼ばれた長州藩の藩庁です。文久3年に毛利敬親がこの場所に藩庁の移転を計画し、慶応3年に竣工したものだそうで、維新の動乱を見続けた藩庁の正門は、現在も県庁の門としてつかわれていました。
すぐそばを国道9号線が走っていますが、鯉がいっぱい泳いでいる堀に囲まれた藩庁門は時代を超越しているかのようでした。 |
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瑠璃光寺から数キロ山に入ると、萩往還の石畳が残っていました。
全長53キロ、萩と三田尻を結ぶこの道は、毛利氏の参勤交代のために開かれたそうです。
維新の志士たちがここを頻繁に行き来したんだなぁ。一歩、木立のなかに入ると、町人姿に化けた高杉晋作が走ってきそうな感じもしました。 |
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津和野は2回め。前回は鯉の泳ぐ街を散策して終わってしまったので、今回はまず石見津和野城を目指しました。
城山下の駐車場に車を停めてリフトで山上へ。あとで聞いたら登山道もあるそうで、次は時間をとって歩きたいと思います。
リフトの終点から5分ほど歩くと出丸の石垣が現れ、眼下に津和野の街が広がります。さらに進むと大手口を経て天守台、本丸へと続きます。ほぼ垂直に築かれた大規模な石垣は、鎌倉時代から続く要害を実感させてくれました。 |
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津和野城から城下町に下り、鯉の泳ぐ街を散策しました。だいぶゆっくりしてしまい時計を見ると15時近く。萩へ急ごうと思いましたが、ちょうどSLやまぐち号が走る時間だったので、野坂への坂を上るSLを待ち伏せしました。 |
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県道を通って萩へ16時に到着。はじめに松下村塾に向かいました。
松下村塾のある松蔭神社の脇の道に入って見ると、「街道をゆく」の挿絵になっている吉田稔麿誕生地の石柱がありました。 |
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松下村塾。
吉田松陰が私塾の主宰を引き継いだのが28歳のとき。処刑までの3年のうち、投獄・蟄居の期間を除くと講義をしたのは実質1年だそうです。久坂玄端や高杉晋作がここに通っていたんだなぁ。 |
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萩をあとに日本海に沿って国道191号を西へ進み、長門を経て下関に泊りました。
翌朝、平家一門と安徳天皇が眠る阿弥陀寺、いまの赤間神社を訪ねました。赤い楼門は、安徳天皇の霊をやすめるため、竜宮城を模して建てられたそうです。楼門の左側は安徳天皇陵墓です。
国際感覚豊かな平家が滅びなかったら、その後の日本はどういう歴史を刻んだんだろうなぁと思うと興味深いです。
神社の中の土産物屋で少し話を聞いたら、滅ぼした義経関係の物が一番人気があるんだよねって。なんだかなぁ |
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壇ノ浦の漁港
小さな漁船が数隻つながれているだけですが、ここの漁師さんが潮の干満を教えてくれたおかげで、義経は平家を殲滅できたんだそうです。
時代は下り、維新のころには花街があり、晋作や龍馬の行きつけの店もありました。 |
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壇ノ浦を望む馬関戦争の長州砲台。攘夷、尊王、開国、倒幕と幕末に揺れ動た長州の象徴のように思えました。 |
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壇ノ浦から国道9号を東へ走って長府へ。
長府の歴史は古く、成り立ちは諸説あるようですが、奈良時代には長門の国府が置かれた地でることははっきりしているようです。周防国と長門国を長州二藩ともいいますが、土塀の続く城下町を歩いているとタイムスリップしたかのようでした。 |
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長府の功山寺にある高杉晋作挙兵の像
幕府の長州征伐に対し、わずか80人程度で兵を挙げ、潜居していた三条実美らに「ただいまより長州男児の肝っ玉お見せし申す」と宣言したときの像です。司馬さんの「世に棲む日々」の名場面です。
維新をめぐった今回の旅は充実していましたが、駆け足の感も否めません。今度は一箇所に絞って訪れたいなぁと思いながら宇部山口空港から帰郷しました。 |
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改めて5月19日に、前回訪ねられなかった益田の医光寺に向かいました。
医光寺の庭園は、一時期この寺の住職であった雪舟によるものです。
毎年3月には、しだれ桜が見事だそうで、いつかその時期に訪ねたいものです。 |
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