芸備の道
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 11月下旬に訪れました。
 司馬さんは広島から三次へ北上しましたが、島根県(砂鉄のみち)を訪ねたあと南下したので逆コースを辿ったことになります。
 
 三次のα1に泊り、まず岩脇古墳へ。
 高谷山へ登る道のはじまりにあるらしいと見当をつけていったのですが見つかりません。古墳があると思われる場所には国民宿舎みよし長寿村という建物が建っています。従業員の方に聞いたら、国民宿舎の前の斜面が探していた岩脇古墳でした。
 続いて、粟屋駅付近に丸山鉄穴場があるというので探したのですが、案内標識などが無く迷いました。
「線路の南側の丘を指さした。段畑が幾重かかさなっていて、そのむこうに平地の森程度のひくい丘がある」という記述を頼りに細い道をたどりましたが、結局は地元の方に教えてもらいました。
 丸山鉄穴場跡
 教育委員会の建てた案内板がひっそり建っていました。
三次市の街なかにある鳳源寺。

 司馬さんが書いているように

 赤穂浪士
 大石良雄
 手植の
  枝垂桜

 と四行にわけて書かれていました
 三次は霧で有名です。高谷山に霧の眺望所があるというので行ってみました。初冬は霧が出やすいそうですが、霧が濃すぎてなんにも見えません。太陽が昇るにつれ少しずつ霧が晴れ、雲海のように見える頃には昼になってしまいました。

 正午になってようやく霧の晴れた三次の街。
 盆地の周囲にある山々は、古代からの砂鉄採取のため牛の背のようにまるくなだらかになったそうです。
 馬洗川、西城川、江の川が三次の街で合流するという砂鉄採取に適した水の豊富な土地です。
 吉田町の北の山すそにある郡山城趾。
 車をとめて少し歩くと毛利元就の墓所がありました。
 毛利元就の生まれた吉田町は、車がバイパスを抜けるため、落ち着いた佇まいをみせていました。資料館を見学したかったのですが、あいにく休館日だったのが残念です。

 司馬さんたちが泊まった「旅館いろは」は、しっとりした吉田町のほぼ中心にありました。
 毛利元就が少年時代をすごした猿掛山城趾。
 前を外堀のように多冶比川が流れています。
 吉田町をあとに国道54号を広島へ向いました。
 国道沿いにある桂峠のバス停。
「桂」のほかに「福原」「高杉」「山県」など幕末の長州の志士の姓が、そこらじゅうにころがっているそうです。
 
 国道54号の旧道にある上根。広島市街からみると中国山地の台上にのぼったところにあります。
「広島県は瀬戸内海文化圏だとおもっていたが、わずか20キロばかり北上しただけで、もう川が日本海にむかって流れているというのは、ただごとではない」と記しています。
 上根から旧国道54号で峠を下りました。
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