砂鉄のみち
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 米子で泊まり、美保関を訪れたあと、弓ヶ浜を再び南下して安来にある和鋼博物館を訪れました。
 旧和鋼記念館の看板

 司馬さんの訪れた日立製作所安来工場付属「和鋼記念館」から資料1万5000点移設し平成5年に開館した博物館です。
 ヒ(けら)
 出雲の砂鉄は古来より精妙な鋼の材料だったそうで、そのなかでも出雲と伯耆国境の砂鉄が良質のものなのだそうです。
 砂鉄を採取して良質の鋼にするという古代以来の製鉄システムが生き残っているのは、安来だけということです。
 博物館で和鋼について勉強したあとは国道432号を南下して山あいの横田町の山中にある日刀保、鳥上工場へ向いました。
 日刀保とは「日本美術刀剣保存協会」の略で、日立金属の子会社の安来製作所が事業主となり、たたらの技術を伝えています。
 鳥上山というのは、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治した場所として知られているそうです。
 神話の世界です。
 続いて西へ走り、吉田町の菅谷たたらへ。砂鉄から製鉄する場所を鈩(たたら)と言い、たたら製鉄に従事していた人たちの職場や、住んでいた地区を「山内」と言います。この菅谷たたらは、製鉄炉の「高殿」が完全に残っている日本唯一の山内で国の重要民俗文化財に指定されています。 
 菅谷高殿

 宮崎駿監督作品「もののけ姫」の舞台なんだそうです。
 製品の鉄をおさめておく鉄倉や米倉、社宅など菅谷「山内」の盛盛期には40軒ほどもあったそうです。 
 炉(たたら)

 高殿の内部に入ると、中央に土製の炉ありました。
 この炉は、ヒが出来あがるたびにそれを取り出すためにこわされるそうですが、その地下は湿気を去り、熱が逃げるのを防ぐため大規模な土木工事が行われています。
 吉田村の田部家

 中世末期に紀州の田辺から出雲に移り、最大の砂鉄業者になった古い家だそうです。
 砂鉄の採掘という仕事は鉄穴流しという、山に長大な人工の溝を掘る作業をするため、一山ぜんぶを買わなければならなかったそうです。このため田部長右衛門家は中国山脈のほとんどを所有する日本最大の山持ちになったのだそうです。
 たたらの歴史を堪能して一日が暮れていきます。
 いまは山深い山中で神話の時代から営まれてきた和鋼の伝統に感銘を受けました。

 吉田村掛合からは国道54号をひた走り、三次のホテルα1を目指しました。
 三次から「芸備のみち」をたどって広島へ出て、山陽道を東へ進み岡山から津山へと回りました。
 津山から北へ約20キロ、加茂町にある万灯山古墳を訪ねました。
 6世紀ころの横穴式石室で、古代製鉄を統御していた豪族の墳墓ではないかということです。
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