北海道の諸道 函館付近
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 ゴールデンウィークに道南を回りました。出発にあたっては「街道をゆく」のほかに「菜の花の沖」「燃えよ剣」を再読。
 函館空港到着後にレンタカーを借り、まず空港近くの志苔館跡を訪ねました。
 古くから砂鉄がとれ、和人の鍛冶屋村があったそうです。室町時代の道南地方には和人の館が12あったそうです。
 志苔館跡もその一つ。
 1456年とその翌年にアイヌの蜂起があり、志苔館が攻め落とされたといわれています。
 続いて函館市内へ。
 護国神社の参道正面に函館山を背景にして高田屋嘉兵衛の銅像が建っています。
 函館開港100年を記念して昭和33年に建てられたものだそうで、ロシアのゴローニン船長を引き取りに行った時の姿だそうで、右手に松前奉行の論書、左手に正装に着替えた際に脱いだ衣装を持っているとのことです。
 末広町にある資料館には、北前船の模型や実際に使用されていた船箪笥、船徳利、船額などが展示されていました。
 今回の宿は函館の東横イン。
 チェックインしてから夜景を撮りに出かけました。
 「函館の町で美しい建物の一つは、元町の坂の途中にある「函館ハリストス正教会」である」と司馬さんは記しています。
 翌朝は雲ひとつない上天気。
 松前桜が満開ということなので、相当混雑すると思い、7時すぎに出かけました。
 途中、トラピスト修道院に寄り道。司馬さんも「20数年前に訪れたときに修道院で出されたクッキーの旨かったことを思い出した」という、クッキーのパッケージそのままの姿でした。
 渋滞を予想し早めに出発したせいか、国道228号は快適に走ることができました。左手に津軽海峡を眺めながらのドライブです。
 寄り道しながらも10時前に待つ前に到着。桜祭りが行われていて、誘導に従って少し離れた小学校の駐車場に余裕をもって駐車することができました。
 松前城は絵葉書のように桜が満開でした。
 松前藩は本州の暖地性の植物を移入し、それらを根付かせることに努めたそうです。司馬さんも訪れて驚いたという孟宗竹の藪は、配られていたガイドマップにも記載されていました。
 松前から江差へ向かおうとしたら桜祭りの駐車場待ちの車で国道がすごい渋滞。微動だにしない状況をみて迂回することにしました。
 いったん函館方面に戻り、木古内から道道を抜けて江差に向いました。
 15時すぎに江差に到着。港には開陽丸の実物大が復元され、遺物が展示されているというので、まず見学してみることにしました。 
 徳川幕府最強の軍艦「開陽丸」は、明治元年に江差の沖合で座礁し沈没しました。
 最大の防禦・攻撃力を失った幕府軍は、やがて五稜郭で降伏していくことになります。
 100年後の昭和50年、日本初の海底遺跡として積んでいたピストルなどの遺物が引き揚げられました。
 続いて旧中村家を見学。

「江差の五月は、江戸にもない」江差の五月というのはニシンが群来(くき)をなしてやってくる季節でした。
 旧中村家は、越前石の土台、総ヒノキ切妻造りの大きな母屋、母屋から浜まで続く通り庭など、代表的な商家の造りを今に伝えていました。
 旧中村家に飾られている大正時代の漁の写真が当時の繁栄を証言していました。

 江差を17時過ぎに出発し、国道228号を南下。もういちど松前に立ち寄り、夜桜を堪能してから函館に戻りました。

五稜郭 オンマウスで桜の季節
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