オホーツク街道
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 9月3日、羽田発女満別行きに乗り込み北海道を訪れました。空港でレンタカーを借り出し、最初の目的地は網走市天都山にある道立北方民族博物館です。
 アイヌ、ウイルタ、イヌイットなど北方民族の文化が紹介されています。モヨロ貝塚から出土したヴィーナスが一際光芒をはなっていました。
 天都山を下って、網走市大曲の市営住宅脇にある北方少数民族資料館の「ジャッカ・ドフニ」へ。一昨年の夏に訪ねた時には閉館していたのでリベンジです。聞いたら最近は土日のみの開館が多いんだそうです。
 手作りの陳列館といった感じの博物館ですが、ウイルタの文化を伝える品々が並べられていました。前館長のゲンダーヌさん(北川源太郎さん)手作りのセワ(神聖な偶像)が印象的でした。
 網走市郷土博物館。
 モヨロ貝塚の発見で有名な米村喜男衛氏の発掘した出土品が基礎になった博物館です。出土品のほか動物や魚、アイヌや開拓民の民具など宝石箱のように陳列されていました。
 網走は文字通り遺跡の宝庫といった感があります。モヨロ貝塚の脇にある資料館では、地面を掘り抜いた断面を見学できるようになっていました。米村氏が海岸段丘で遺跡を発見したときの感動を疑似体験できるかのようです。オホーツク人の墳墓というのもあって人骨もそのまま展示されていました。
 朝の飛行機を降りてから13時まで、網走市内の博物館4ヶ所を駆け足で回りました。
 ここからは国道238号を一路稚内まで北上です。
 網走の市街地を抜けてしばらくすると、右側に能取湖があらわれました。夏には何度か立ち寄ったことがあるのですが、サンゴ草が色づく初秋は初めてです。9月第2週になるとサンゴ草祭りが開かれるそうで、そのころはもっと真紅になるんだそうです。ちょっとだけ早かったみたいです。
 サロマ湖畔にある常呂遺跡の森へ。
 雑木林の中に縄文、続縄文、擦文時代の出土品や竪穴式住居が復元されていました。
 敷地の奥にある東京大学常呂史料陳列館には、数多くの土器や牙に彫った熊の偶像など興味深い品々が陳列されていました。
 サロマ湖にある道の駅のホタテ焼きがマイブームです。熱々の大きなホタテが2ケで300円。
 1日めは紋別で泊ることにしました。宿は司馬さんも利用した紋別セントラルホテル。夕食も司馬さんが訪れた一法亭という料理屋さんに出かけました。カウンターには司馬さんの色紙が飾られていました。
 ご主人に勧められ食べたズワイガニの刺身の美味しいこと! 想い出になりました。
 2日め。まず紋別市街の北にあるオムサロ遺跡公園へ。国道から数百メートル入った高台にありました。
 小規模ながら出土品も展示され、周囲には数多くの竪穴が発掘されていました。
 紋別から寄り道を含め約2時間。枝幸市にある「オホーツクミュージアムえさし」へ。目梨泊遺跡から出土したオホーツク土器や蕨手刀、青銅製の帯金具などが展示されていて興味深かったです。
 枝幸の街を離れると、神威岬が見えてきました。旧国道は海岸に沿っていますが、岬の根っこを通り抜ける新しいバイパスができていました。
 枝幸の博物館で出土品を見た目梨泊遺跡を探しましたが、地図や看板に見当たりません。車を停めて聞いてみても首をひねられるばかりです。何人めかにお年寄りに聞いて、やっとわかりました。発掘現場といった感じで、特に整備はされていませんでした。
 神威岬を越えると浜頓別町です。ゴールドラッシュで沸いたというウソタンナイに立ち寄ってみました。砂金採掘公園は思ったより山中で、国道を左折してから11キロ近く距離がありました。
 砂金採りは時間無制限500円、時間があれば面白かったかなぁ。
 砂金採掘公園からさらに林道が伸びています。未舗装の道を山中に進んで行くと、明治の採掘で使われた「樋流し」などの遺構が残っていました。
 渓谷に沿ってさらに進むと明治時代の集落跡があるそうですが、林道の途中にゲートがあって通行止めになっていました。
 浜頓別町の北側にはクッチャロ湖が広がっています。冬は白鳥が渡って来るそうですが、夏は茫洋とした感じで、つかみどころが無い感じを受けました。
 浜頓別の北にある浅芽野にあるモウケニ沼が昔から好きです。まっすぐ伸びた木道が沼に至るアプローチ。風景は初めて訪れたときと変わっていませんでした。
 オホーツク海に沿って北上をつづけ、猿払村まで来ました。面積590kuと北海道で一番広い村だそうです。人口は3000人弱だそうで、そうすると人口密度は5人/kuほど。めっちゃ広々です。
 海岸にロシア船インディギルカ号遭難の碑が建っていました。
 16時、最北の地、宗谷岬に到達しました。間宮林蔵の像が樺太を見つめていました。
 岬の背後にある高台に海軍の望楼が遺っています。内部は眺めるだけですが、屋上に登れるようになっていました。ここから凍えながらロシア艦隊を見張っていたと思うと、強国を怖れる弱小国の悲哀が感じられました。
 こんなにすっきり晴れた宗谷岬は初めてです。宗谷丘陵とよばれる丘に登ると、40キロ彼方という樺太が思った以上に近く見えました。司馬さんの書いているように、海に道路があれば1時間で着く距離だということが実感できました。目をこらすと建物らしきものまで見えてびっくりです。
 南稚内駅近くの旅館いわきに泊りました。夕食はズワイガニの刺身に焼きタラバと蟹三昧。さらに稚内名物の蛸しゃぶを追加で頼んだら、満腹で苦しいほど北の味覚を堪能しちゃいました。
 3日め。昨日は夕方で逆光だったので、もう一度宗谷岬近くに建つ「間宮林蔵渡樺の地」の碑を訪ねてみました。今朝も青い海の向うに樺太が浮かんでいました。
 オンコロマナイ遺跡、探すのに少し苦労しました。恩頃間内橋のたもとに車を停めると、道路わきの潅木のなかに案内板が隠れていました。
 稚内港北防波堤ドームは、稚内から樺太航路があった昭和初期に道路や鉄道の防波堤として造られたそうです。総延長427m、柱の数は70本。古代ローマ様式で印象に残る建造物でした。
 稚内からノシャップ岬をまわり、日本海に沿って南下しました。抜海岬、サロベツ原野と、まーったく人家が見当たりません。運転していて距離感とスピード感が狂ってしまうのも仕方ないなぁ。

 帰りの飛行機は女満別発20時30分。13時に天塩町を離れ名寄、紋別経由で走ったら女満別まで6時間でした。(途中のサロマ湖でまた焼きホタテを味わいました)
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