北のまほろば
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 5月4日。GW、しかも桜満開の弘前に向かいます。朝早くから駐車場が満車になると聞いたので、青森のスーパーホテルを6時に出発しました。
 国道7号を弘前へ。浪岡を過ぎるあたりから他府県ナンバーの車が目立ってきます。到着したのは7時前。ねぷた村近くの臨時駐車場に無事停めることが出来ました。
 車も置けたので安心して武家屋敷と弘前城をゆっくり散策しました。
 弘前城は津軽氏歴代の居城で五層の天守閣を持っていましたが、落雷による火事と火薬庫の大爆発により焼失してしまっています。
 白く輝く岩木山がとても綺麗でした。
 吉田松陰も訪れたことのある伊東広之進の元屋敷。
「学校法人・養生学園 養生幼稚園」という看板が出ていました。お願いすれば内部の見学が出来るそうですが、連休中なので諦め、次回にまわしました。
 石場家
 弘前城の北側、亀甲門の堀端にあります。
 旧藩時代に藩の御用をつとめた御用商人のお屋敷です。現在も商売を営まれています。
 内部を見学することもでき、司馬さんが座っていた囲炉裏端には取材時の写真が飾られていました。
 10時半に桜の弘前を出発し、県道37号を岩木川沿いに北上します。左手には岩木山がそびえています。
 11時に木造駅前に到着。司馬さんが仰天したという遮光器土偶が駅舎いっぱいに立ちはだかっていました。
 インパクトのある駅です。
 「木造町縄文住居展示資料館カルコ」へ。
 亀ヶ岡遺跡から出土した土器や土偶が展示されています。縄文時代の竪穴住居が復元され、遮光器土偶が住居入口に建っていました。もちろんレプリカ。
 木造町の資料館をあとに、亀ヶ岡遺跡を経由し十三湖へ。
 十三湊の砂州の下には室町時代に栄えた市街地があり、一部が発掘されていました。
 十三湖は汽水湖で、その水深は1.5mしかないそうです。
 
 時計を見ると13時。十三湖名物のしじみ定食でお昼にしました。塩胡椒とバターで炒めてあって、おいしかった。
 十三湖大橋を渡って市浦市に入ります。
「福島城跡」を探したのですがよくわかりません。ちょうど何かの捜索中だったお巡りさんに尋ねて教えてもらいました。
 太宰治の生家、金木町の「斜陽館」。
 実は今回は訪ねておらず、写真は数年前に来た時のものです。
 国道339号、左手に海を見ながら北上します。
 小泊を過ぎてしばらく進むと、吉田松陰が宮部鼎三とともに津軽を訪れた時に歩いた山越えの道が右手にあらわれました。
 「みちのく松蔭道」という石柱が建っています。
 小泊を過ぎてしばらくは海岸に沿った道でしたが、やがて竜飛という所に来て、急勾配の九十九折となって脊梁に登ります。
「竜飛へむかうにつれ、山がいよいよ海にむかってはみ出はじめる。道はここに尽きる。日本じゅうの道という道の束が、やがて一すじの細いみちになって、ここで尽きるのである」
 竜飛崎には16時に到着でした。
 竜飛崎から三厩までは339号。断崖の下を通り波の寄せる磯に沿って走り、どうにもならなくなると岩に穿ったトンネルを抜けて進みます。
 三厩で旧道に入ると「厩石公園」という小公園がありました。義経が、ここから蝦夷地にわたったといいます。大きな岩があり、三つの洞があって「厩石と呼ばれています。
 三厩からは国道280号を平館海峡に沿って南下します。左手には下北半島仏ヶ浦の白い断崖が夕陽に輝いていました。
 19時、青森スーパーホテルに無事帰還。
 5月5日。三内丸山へ。
 9時開門でしたが少し早く着いてしまい、駐車場で時間をつぶしてから入場しました。
 三内丸山遺跡近くの三内霊園にある棟方志功の墓を参拝。墓石の場所がわからずに管理事務所の方に伺うと、丁寧に教えてくれ、簡単な地図までいただきました。
「静眠碑」と書かれた墓石に参拝。ゴッホの墓と同じ形だそうです。
 松原のNHK隣にある「棟方志功記念館」へ。
 13時、八甲田山に到着。
 国道103号で発行だ連峰n登り、田代方面へ県道を進むと、まだ雪の回廊になっていました。
 「雪中行軍遭難の碑」と書かれた碑の奥にある展望台ももちろん雪の中。青森歩兵第五連隊後藤伍長の銅像が八甲田山を背に建っていました。
 国道103号に戻り、酸ヶ湯温泉に寄ってみましたが、観光バスや自家用車が駐車場に入りきれず路上に溢れています。
 いかに千人風呂とはいえ人が溢れていそうなのでパス。国道394号を黒石市へ下りました。
 この394号、昔走ったときは1車線のダートで、かなり時間がかかった記憶があります。でも今回走ってみたらまるで有料道路のように快適な道路になっていてびっくりしました。 
 14時30分、田舎館村の埋蔵文化財センター「弥生館」に到着。
 古来、コメづくりは東北地方には及ばなかったと言われていましたが、国道102号のバイパス工事の際に、弥生時代の水田跡が出てきて日本史の常識を覆しました。
 この弥生館の中には、その水田の遺構が展示されており、なんと弥生人の足跡までもが残されていました。いや、びっくり。
 
 このあとは黒石ICから東北自動車道に乗り秋田県小坂町へ。「秋田県散歩」の舞台を訪れました。
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