三浦半島記
次は濃尾参州記  NEXT  TOP

 4月17日
 菜の花の時期に大楠山に登りたいと思っていたのですが、気がついたらもう4月になっていました。
 今週を逃すと、もう咲いていないと思ったので、いざ鎌倉って感じで訪ねてみました。
 横浜横須賀道路で三浦半島を縦断し、衣笠ICから林の交差点に出ると海が見えました。
 134号を逗子方面に進み、案内に従って右手の山を登っていくと、頂上への道が通じていました。
 釈迦堂切通し
 大楠山から下り、134号を走り、逗子で国道を離れて経て鶴岡八幡宮へ通じる県道を進みました。
 釈迦堂の切通は鎌倉七口の一つで、土のままの道と洞門が残っています。
 頼朝の墓所
 鶴岡八幡宮の西に山を背にして墓所があります。
 数十段の石段を登ると樹叢のなかに平坦な一角があって、5重の石塔が建っていました。
 若宮大路
 鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで、一直線に伸びています。海までの距離は1.8kmだそうです。
 段葛
 若宮大路の二ノ鳥居から三ノ鳥居までは、通りの中央が一段高くなっています。これが段葛と呼ばれるもので、源頼朝が、妻政子の安産を祈願して神様が通る道を築いたものだそうです。
 訪れたときは両側の桜が少し散りかけていました。
 鎌倉駅から江ノ電に乗って極楽寺へ。
 トンネルを抜けて極楽寺駅で下車しました。極楽寺坂を由比ヶ浜にむかってくだっていくと目の前に浜が広がりました。
 五霊神社
 後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景政を祀っていて、権五郎社とも言われています。目の前を江ノ島電鉄のレールが横切っていました。
 長谷駅からふたたび江ノ電に揺られて鎌倉に戻りました。
 駐車場から車を出して、次は三浦半島東側にある金沢の称名寺へ。北条実時が、別邸を建てて持仏堂を祀ったのが始まりだそうです。
 赤塗りの四脚門から参道を進むと仁王門があります。中に入ると、赤い欄干の反橋架かる池泉庭園がひろがっていました。
 北条実時は、儒学、農学、軍学、文学などさまざまな書物を収集したそうです。
 その書物を火災が多かった鎌倉ぁら離れた金沢に置くことにし、金沢文庫が作られました。
 称名寺と山ひとつ隔てた所に文庫はあって、トンネルが穿かれています。
 三浦半島を一気に南下し、南端にある久里浜を訪れました。
 ペリー上陸の地は公園になっていて、黒船来航の目的や背景、当時の日本の様子がうまく説明されている記念館もあります。
 公園の中央には記念碑も立っていました。伊藤博文の筆によるものだそうです。
 坂本龍馬の妻、おりょうの墓へ。
 京浜急行大津駅の大津小学校から脇道に入った突き当たりに信楽寺という浄土宗の寺があります。
 司馬さんは「山門へのぼる石段の下に墓が一基ある。路傍の墓である。坂本龍馬という、生涯が32年しかなかった人の妻の墓である。」と書いていますが、訪ねてみると本堂の左手奥にありました。
 三浦半島記を訪ねる旅の仕上げは「軍艦三笠」
 横須賀は昔から軍港で、現在も自衛隊や米軍に使われています。その横須賀本港の南に、「三笠」が記念艦として保存されていました。
 500円を払って記念艦に乗船。日露戦争に至る時代背景から対馬沖でのバルチック艦隊撃破の様子などが展示されていて興味深かったです。三笠は佐世保に凱旋後、停泊中に火薬庫が爆発して沈没してしまいましたが、のちにひきあげられ記念艦になりました。
 このあと「坂の上の雲」を読みたくなり再読しました。
⇒NEXT 濃尾参州記