北海道の諸道 陸別へ
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 関寛斎、小さな陸別の町はこの翁をおいて語れるものではないようです。陸別町の公式HPの「陸別町はこんな町」というページも関翁の紹介が町の紹介になっていました。
 旭川から国道39号線で石北峠を越えると道東の雄大な風景が広がりました。留辺蕊で道路の右側に美味しそうな蕎麦屋さんを見つけて昼食。
 食後、交差点を右に曲がって「日本一しばれる町」陸別へ向いました。
 千葉で医師を開業し徳島で御典医に、維新戦争に軍医として従軍した後、一介の町医者として徳島で開業。73歳のとき全てを捨てて陸別へ入植し83歳で自殺。人間の生きざまとして強く興味を惹かれます。翁については Web Shinokawa さんの「関寛斎翁入殖の跡を陸別に訪ねる」が詳しく紹介しています。
 ふるさと銀河鉄道の陸別駅に併設されているオーロラ93という施設のなかに「関寛斎資料館」がありました。
 6月末はオフシーズンなのか、見学している人はおらず、入場券を求めると、内部の照明を点けてくれました。
 資料館は新しく、内容もとても充実していて、翁の生涯がよく説明されています。
 ちょうど「司馬遼太郎特別展」が開かれていて、「胡蝶の夢」の直筆原稿や取材時のスナップなども展示されていました。
 資料館でもらった地図を頼りに、入殖の地斗満へ向いました。駅逓跡には案内板が設置されていました。
 いまは広大な牧草地も、かつては原生林だったと思うと、開拓の苦労が偲ばれました。
 中斗満には、寺院と学校が造られたそうです。
 翁が眠る青龍山へ。  
 階段を登りつめると顕彰碑が建っていました。実はこの青龍山、アイヌの城跡「ユクエピラチャシ」という国史跡で、濠のあとなど発掘調査が行われていました。
 夕刻、陸別を離れ足寄を経て帯広に宿泊。食べたかった名物の豚丼を食し、翌日は狩勝峠の廃線跡を訪ねました。
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