叡山の諸道
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 6月、京都を訪れて寺田屋や壬生を訪れたあと、琵琶湖の西岸を北上しました。
 比叡山の本坂
 坂本の町から比叡山の麓にまっすぐ伸びる「作道」を春に訪れたときには桜が綺麗だったのを覚えています。
【「日吉そば」の横に「鶴喜そば」というマンガ入りの彩色の大看板があがっていて、われわれはそれを視覚に入れつつ、つい鶴喜と信じて日吉そばに入ったらしい。】と書かれている日吉そばは大鳥居の脇、本坂沿いにありました。
 一方、「鶴喜」は本坂から一歩脇に入ったところにありました。建物は120年を経た歴史あるもので、お店の由緒は280年前にも遡るそうです。
 朝食がパンだけだったので、まだ10時半でしたが蕎麦を注文してしまいました。
 鶴喜さんのサイト→
 おなかもくちたので、散歩がてら坂本の街を歩くことにしました。
 本坂から左へ折れると里坊の跡で、「穴太築き」と呼ばれる石垣築きが残っています。
 近江穴太衆の技量の高さがうかがえます。
 代々の天台座主の住まいであった滋賀院は堂々とした門構えでした。司馬さんも【滋賀院の石垣こそ穴太衆の傑作のひとつではないかと思える】と書いています。
 本坂を登りつめた日吉大社の横から比叡山にむけて石段が登っていきます。
 比叡山には、まだ歩いて登った経験はありません。京都側から自動車道で登るか坂本からケーブルを利用するかですが、いつか歩いて登ってみたいと思います。
 比叡山根本中堂です。
 坂本から琵琶湖西岸を北上し、朽木村から鯖街道を南下して京都に戻りました。大原を経て修学院離宮近くから道を折れて曼殊院へ。
 曼殊院はもともと比叡山の西塔にあったのですが、何度かの移転の後、1656年に現在の場所に再建されたそうです。 むかし風にいえば一乗寺村竹内で、西麓から叡山へのぼる雲母坂の麓に位置します。
 土塁と白壁、石段と山門が印象的でしした。
 曼殊院のつぎに「赤山禅院」へ。
 修学院離宮の近くにある天台宗のお寺で、延暦寺の別院だそうです。廃仏毀釈の影響かお寺なのに明神を祀っていることになっています。
 山門には、くぐると開運厄除けになるという巨大な数珠がつけられていました。
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