葛城みち
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 12月28日
 熊野古道を歩いたあと、新宮から十津川街道を北上して天理に泊まりました。翌日は五條を経由して大和の地を訪ねました。
 高鴨神社
 古代鴨族の先祖を祀る神社です。神社へ向かう道すがら、ゆったりとした大和盆地を遠望することができました。
 司馬さんも、この風景について【この森をふくめた段丘の風景ばかりは、おそらく弥生のころから変わっていないようにおもわれた】と感想を述べています。
 丘陵からはゆったりとした大和三山を眺めることができました。
 つづいて一言主神社を訪れました。
【大鳥居からはるかむこうの山麓まで松並木の参道になっている。古街道の松並木が戦後急速にほろびつつあるが、もしそのほうの全国番付をつくるとすれば、ここなど横綱がはれるのではないか】と司馬さんが絶賛した一言主神社の松並木は木陰をつくっていましたが、規模は小さくなったのではないかと思いました。
 一言主神社 社殿

 司馬さんはここで、一言主神(葛城氏の先祖)や役行者など鴨族と大和政権の天皇家の関係に想いをめぐらしています。
 司馬さんが少年期を過ごした竹内という集落の南側に「笛吹」という古代からつづく小さな村落がありました。
 【葛城山麓で古代さかえた王朝が、その後大和盆地で成立する天皇家より当然ふるいという印象は、あくまで印象だがどの古代史家も否定できないであろう】と記しています。
 葛城坐日雷神社を訪れ、石灯篭の並ぶ階段をあがりました。
 笛吹にある「葛城坐日雷神社(かつらぎにいますほのいかずち)」は、「延喜式」の大社に列し、上代での社格としてはとびきり高いそうです。
 石段を登ると社殿があり、境内に「笛吹連の塚」という横穴式の古墳が保存されていました。
 司馬さんは【古墳と神社とがこうも直結しているというのはほかに例があるだろうか】という感想を述べています。
 このあとは竹内街道を辿りました。
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