河内みち
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 12月28日。大和盆地から国道166号竹内街道を西へ走り、竹内峠を越えると大阪河内に入ります。聖徳太子御廟のある太子で南に折れて、環濠集落で知られる大ケ塚に向かいました。
 いかにも大阪近郊といった感じの道路沿いの一角が大ケ塚。まずはその中心ともいえる顕証寺を訪ねました。
 山門は、矢防ぎだったろうと言われている鐘楼を乗せています。
 大ケ塚は中世の環濠集落で、司馬さんの記しているように、
【ぜんたいのかたちが矩形で、しかも幾筋かの道路がまるで京都もしくは中世の堺のように、東西南北の条里をなして】
いました。
 車の通れない路地を歩くと、タイムスリップしたかのようです。
 15世紀の記録によると民家は50軒以上。17世紀後半から19世紀にかけては河内木綿を大阪へ運ぶ水運の基地として富田林とともに栄えたのだそうです。
 つづいて役行者により開基されたと伝えられる高貴寺へ。
 高貴寺は「律院」として知られています。 律院とは戒律を厳守しているお寺のことです。空海が香華の寺とよび、やがて高貴寺という寺名になったそうです。
 朱塗りの山門をくぐって歩く参道の左側には、楽寮や本坊のある土塀が続いていました。
【ちょっとこまることもある。高貴寺の山中から峠みちを降りてきて巨大なコンクリートの塔がぬっと立っているのである】
 司馬さんも記しているように、葛城山麓から河内平野を見渡すと、富田林にある巨大な塔が立っていました。下部がガウディみたいでちょっと異様・・・。
 続いて葛城山麓にある弘川寺へ。
 ここも開基は役行者と伝えられ、空海により中興されたと言われています。
 山桜が綺麗なことでも知られているそうです。 
 西行法師終焉の地としても知られ、本堂横の登り口から案内に沿って少し山道を登ると西行の墓が静かにありました。
 『願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ』
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