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洛北街道 |
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鞍馬
京都駅から北へ上がり、上賀茂神社近くの町並みを散策しました。
さらに京都産業大学の脇を抜けると、街道は山あいになり、やがて鞍馬寺の門前に到着しました。
石段付近の雑踏を過ぎると、古い街道を彷彿とさせる鞍馬の家々が両側に建ち並んでいます。 |
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鞍馬街道をさらに北に進み峰定寺を目指しました。途中の花背峠は、京都市街からわずかな距離だというのに深山といった雰囲気です。
【このあたりに雪や雨が降ると、京都のタクシーは花脊ときいただけでかぶりをふるらしい】と司馬さんは書いています。
さらに【バスは京阪三条から「広河原ゆき」というのが日に四回出ている】と書いています。まさか今はもっと多いだろうと思ったのですが、調べてみたら確かに京都バスが1日4便でした。
(出町柳から。土日は5本でした)
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大悲山峰定寺
花背峠を下ると大布施という集落。左へ曲がると京北町の方に行けますが、逆に右に折れて進みます。
数キロ進み、標札柱の出ているところから脇道を登ってゆくと、細い道の最奥に峰定寺がありました。古くから山伏の行場だったそうで、観光的な雰囲気は全くありませんでした。 |
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山国陵(やまくにのみささぎ)
峰定寺から大布施に戻り、京北町の常照皇寺を訪ねました。このあたりは山国と呼ばれる地域で、長岡京や平安京の造営の際に材木が使われました。それ以降、明治2年まで天皇の禁裏御料地だったところです。
南北朝の時代、北朝の光厳天皇が出家して常照皇寺を開山しました。この寺の奥に光厳天皇の山国陵があります。 |
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常照皇寺
境内の九重桜は天然記念物にも指定されています。光厳天皇のお手植えと言われ、桜の名所になっているそうです。したのが最初と伝えられる。
【庭へまわった。
そこにシダレ桜があった。
「すごいですね」
と須田さんは樹相を前にしてたじろぐような姿勢でいった。】と紹介されています。 |
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美山
「街道をゆく」では立ち寄っていませんが、近くまで来たのだからと、美山町の茅葺の里を訪ねました。 |
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京都への戻りは周山街道を通りました。
周山から中川にかけての山々は北山杉の産地として知られています。フロントガラスいっぱいに良く手入れされた緑が広がりました。 |
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