高野山みち
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 南海電車の九度山駅近くにある慈尊院は、弘法大師が高野山の表玄関として政所を置いたのが発祥だそうです。以前は高野山は女人禁制だったため、麓にある慈尊院が「女人高野」として親しまれてきましたそうです。本堂には安産祈願の布製のおっぱいが数多く奉納されていました。
 高野山へ参拝する人を先導してくれるゴンちゃんという先達犬で有名でしたが、残念ながら平成14年初夏に亡くなりました。
 丹生官省符神社
 九度山のエリアは高野山の荘園で、税金の免除と国からの干渉の排除を認められていました。。この権利を太政 “官” と民部 “省” から認められていたので官省符というそうです。
 高野山へ登るには、高野街道西口、京街道不動坂口、竜神街道湯川口、熊野街道相浦口、同大滝口、大峰街道東口、大和街道粉撞口と七つあったそうです。
 このうちの慈尊院から登る高野街道西口は、町石道とよばれています。ぜんぶで180の町石が建てられており、写真は丹生官省符神社のそばにある179町石です。
 慈尊院から町石道を約20km、山上の大門に到着します。
 大塔

 塔の内部は立体曼荼羅の世界でした。
 一の橋から奥の院へ続く参道の両脇には織田、豊臣、前田、島津、伊達などなど戦国武将の大きな墓石が並んでいます。なかには石田三成もあったりして、敵味方の区別がないです。
 玉川にかかる御廟橋を渡ると弘法大師の眠る奥の院。この橋から奥は撮影禁止なので写真はここまでです。
 2009年10月4日、お遍路さんで奥の院にお参りしたあと、前から訪ねたかった真別処、円通律寺まで歩くことにしました。
 一の橋の案内所でお聞きすると、「修行の寺なので見学はできませんよ。山道の足元がわるいですから気をつけてください」と道順を親切に教えてくださいました。
 刈萱堂の東、熊谷寺と恵光院の間の細い道、写真の横断歩道のところから山道に入ります。
 細い道は舗装がすぐに途切れて杣道になります。
 低い峠で高野七口のひとつ、大滝口へ至る道が左へ伸びていますがそのまま直進して峠を下りました。
 やがて熊野古道の小辺路と合流し、ろくろ峠(小辺路の起点)へ向かうところに、真別処、円通律寺の入口があり、石柱に「不許葷酒入山門」と書かれていました。
 真言宗の僧侶を目指す肩々の修行のための寺院です。
 現在も修行の妨げとなるため女人禁制、用事のない人は立入禁止です。そーっと少しだけ拝見しました。
 山門前mp杉木立は、その昔は高野聖の庵が無数にあったそうです。

 司馬さんは「真別処へ行かないと高野の浄かさは分からない」と書いていますが、お遍路さんや観光客で賑わう表通りからは想像のつかない凛とした空気が感じられました。
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