十津川街道(五條・大塔村)
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 熊野古道を歩こうと思い、ルートを考えました。紀伊半島を訪れるにあたって、以前から気になってた十津川街道を南下するコースをとることにしました。数年ぶりの再訪です。

 12月24日
 奈良から南下し、十津川の入口ともいうべき五條です。伊勢街道と紀州街道の交わる五條の新町通りは江戸時代の面影を残しています。
 白壁を多用せず黒っぽい家並みは、白壁王(光仁天皇)と井上内親王の物語に起因するそうです。書くと長くなるので省略!
 新天辻トンネル

 五條市から西吉野村を経てどんどん登り、大山塊の入口に辿り着きました。
 天辻峠を越えると大塔村になります。。
 旧道の天辻峠より

 個人的に、日本で秘境という言葉のイメージと重なるのは岩手県北東部と、ここ十津川の大山塊です。
 天誅組の碑

 文久3年9月に、天誅組の浪士たちが本営をかまえました。
 五條方面から新天辻トンネルを抜けたところでUターンするように旧道に入ったところにありました。
 天辻峠から坂をおりると大塔村の阪本。
 辻堂にある竹原八郎の墓
 元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕派の一人だった大塔宮護良親王が十津川郷に難を逃れてきました。このとき親王をかくまったのが、十津川郷士の竹原八郎。その後、親王と八郎は軍勢を率いて伊勢に進出して六波羅探題を脅かしました。このことが各地で豪族が蜂起する契機となりました。やがて元弘3年に鎌倉幕府は開府以来150年で滅亡します。
 明治22年の大水害までは、五輪の塔などもあったそうですが、いまは十津川の川底に眠っているそうです。
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