十津川街道(十津川)
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 12月24日。熊野古道を歩こうと奈良から十津川街道を南下しました。
 大塔村辻堂を過ぎると、ますます山隠という感が深くなりました。
 谷瀬の吊橋

 十津川は明治22年に大洪水に襲われました。この大吊橋は谷瀬とその奥の人々が一戸あたり三十万円の負担金を出しあって架橋したそうです。
 298mの長さで、歩行者用の吊橋としては日本一の長さだとか。
 目の下の広い河原は洪水前まで集落や畑のあった土地だそうです。
 十津川温泉

 付近には湯之谷とか温泉地温泉とか、硫黄の匂う温泉があちこちにありました。
 明治22年の大洪水は3日間降り続いた豪雨のため山塊が崩落し、水没、流出、倒壊した人家は数知れず、死者は168人、被災者は2600人に達したそうです。
 復旧など不可能な埋もれ方で、十津川の人々は当時未開の北海道に移住し新十津川村を建設しました。
 十津川を下り、果無山脈をトンネルで抜けると熊野に出ます。 十津川を抜けてくると、熊野本宮大社あたりは広くゆったりした流れに感じられました。
 熊野本宮大社。
 神武天皇が高千穂を出発し東征した際に、途中の豪族たちの抵抗にあって難儀しましたが、ヤタガラスというカラスに導かれて大和に都を作ることが出来たんだそうです。
 で、絵馬も旗も八咫烏。
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