壱岐・対馬の道 −壱岐−
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 壱岐と対馬。玄界灘に浮かぶこの2つの島は、思っていた以上に対象的な面をみせてくれました。
 唐津に泊り、翌朝唐津城近くのバスターミナルからバスに揺られて呼子港へ。
 9時発の九州郵船フェリーに乗船しました。
 1時間ちょっとで壱岐の印通寺港に上陸しました。
 印通寺港に着いて、とりあえず壱岐の中心である郷の浦の街へいくことにしました。
 バスの待ち時間を利用して、港の東端にある「唐人神」へ。
 唐人神というのは、中世の頃に若い唐人の下半身が流れつき、それを土地の漁師が祀ったのが由緒だそうです。
 司馬さんが街道をゆくで紹介してからは人が訪ねてくるようになったので、祠の周囲も整備したという話を聞きました。
 ずいぶんストレートに祀っているんだなぁと思いながら、バスに揺られて郷の浦に向かいました。
 レンタカーを借りようかと思ったのですが、行きたいと思っていたところを要領よくまわる観光バスがあったので、この旅で初めて観光バスを利用しました。
 バスの発車時間までのあいだ郷の浦の街を散歩していたら、街の真ん中に唐人塚に負けず劣らずストレートに祀っている神社があって度肝を抜かれました。
 12時20分発の壱岐交通の観光バスに乗車しました。
 最初に岳ノ辻展望台へ登り、平坦な壱岐の島を見渡して全体像を把握しました。標高212.9mだそうです。
 大和朝廷は663年に白村江で新羅と唐の連合軍に大敗しました。その後、新羅が日本に攻めてくるのではないかとおそれ、対馬、壱岐、筑紫などに防人が置かれ、のろし台が置かれたそうです。
 岳ノ辻展望台の横に、その「のろし台」がありました。
 この火が、大宰府に伝わり、瀬戸内海を経て奈良まで伝令が伝わる仕組みだったそうです。
 続いては、よくポスターになっている猿岩へ。
 黒崎半島の先端にある玄武岩の大岩ですが、国生み伝説のなかでは「神様が島をお産みになったとき、流されぬように八本の柱を立てて繋いだ。そのひとつが猿岩である」そうです。
 はらほげ地蔵
 満潮になると腰から下が海に潜ってしまいます。
 原ノ辻遺跡 魏志倭人伝に「南へ千余里で一支国に至る」という一節があり、この一支国が壱岐のことだそうです。その一支国の首都だったところが原の辻遺跡といわれています。吉野ヶ里遺跡に並ぶ弥生時代の環濠集落で、魏志倭人伝に登場するクニの中で確認されているのは原の辻遺跡だけだそうです。
 ト占(フトマニ) 鹿の肩甲骨を焼き、そのひび割れをみて吉凶を占いました。昔読んだ松本清張の推理小説にも出てきたなぁ。
 観光バスは原ノ辻遺跡のあとウニ工場に立ち寄りました。防腐加工していないウニがとても美味しかったので、お土産用に調達しました。
 郷の浦でバスを降り、港に向かいました。
 帰りはジェットフォイルで博多港へ。18時15分に乗船すると波の上を飛ぶように走り、50分後には博多の岸壁に接岸しました。
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