嵯峨散歩
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 嵐山から清滝方面に進み、化野念仏寺の前を通る旧道に入ります。愛宕街道とも呼ばれる道の両側には茅葺の茶屋が並んでいます。
 鳥居本の一番奥に愛宕神社の一の鳥居。鳥居をはさんで「つたや」と「平野屋」があります。鮎料理で有名だそうです。
 京都のなかでもいちばん京都らしい雰囲気だと思いました。
 鳥居本から鳥居をくぐって直進すれば愛宕神社へのぼる清滝に至ります。
 今日は鳥居の下を左に折れて水尾へ向います。
 道はセンターラインがなく、小型車がすれ違えるかどうかぐらい。下六丁峠を越えて清滝川にかかる落合橋という小さな橋を渡ります。清滝川はここで保津川に合流。
 保津川の峡谷に沿って進むと吊橋が見えてきました。川のむこう岸は保津峡駅。以前は山陰本線が走っていましたが、現在は山陰本線が新線を通るようになり、旧線はトロッコ線(嵯峨野観光鉄道)となっています。
 そもそもは京都鉄道会社という京都と園部を結んでいた路線で、明治33年開業というから驚きです。
 水尾
 1車線強の山道をさらに進むと見晴らしのきくカーブに出会いました。水尾の集落です。
【マーマレードのにおいがした。村をうずめている樹々が、ほとんど柚であることに気づいた】と司馬さんは記しています。
 清和天皇社
 水尾は戸数わずか40数戸の静かな山あいの里ですが、清和天皇の御陵のあることで知られています。
 村の小径をあがっていくと、「清和天皇社」と書かれた鳥居がありました。
 清和天皇は9歳で即位して天皇になり、27歳のときに子供の陽成天皇に譲位して上皇となりました。その後出家したのですが、水尾の里を大いに気に入り、山寺の造営に取りかかりました。しかし、31歳の若さで崩御され、村人たちは「清和天皇社」と御陵を造営したのだそうです。
 水尾の集落を抜けたところに清和天皇御陵への分岐がありました。石柱と案内板が示すように、いったん谷底に下り、反対側を登り返すと御陵があります。
 丹波と平安京をむすぶ道なので、古くから開かれていたそうです。いまはひっそりとした静かな水尾でした。
 水尾をあとにまっすぐ進み、丹波の八木に向いました。 
 嵯峨豆腐で有名な「森嘉」
 せっかくだから2丁の大きさの豆腐を買って食べました。360円だったと思います。
 渡月橋
 嵐山はいつも混んでいますが、陽が落ちてから訪ねてみるとライトアップされて静かに佇んでいました。
【構造は鉄骨・鉄筋コンクリートでも木造橋梁としか思えない】と司馬さんは褒めています。
 車折神社
 「くるまざきじんじゃ」と読みます。京福電鉄の車折駅からすぐのところにありました。商人や遊芸の師匠たちの信仰があついことで有名です。玉垣が朱色に塗られており、里見浩太郎とか松平健とか奉納した人の名前が書かれていました。
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