仙台・石巻
次は因幡・伯耆のみち  NEXT  TOP

 仙台駅舎
 7月18日。前日の夕方に東京を出発しました。東北自動車道をひた走り、仙台長町のホテルに宿泊。朝起きて、仙台市内をまわることからスタートしました。
 魯迅の下宿
 最初に広瀬川にほど近い米ケ袋へ。東北大学(片平キャンパス)正門の斜め前に魯迅の下宿跡はありました。魯迅が仙台に住んでいたのは明治37年からの2年間だったそうです。
 仙台医学校跡
 東北大学の正門から中へお邪魔しました。右手にテニスコートを見ながら進むと医学校の碑がありました。魯迅は当時の仙台医学専門学校に留学していました。
 大崎八幡宮
 伊達政宗が建立した守護神社です。司馬さんも黒漆塗りを基調にした絢爛豪華な桃山様式の社殿を楽しみに訪ねたのですが、残念なことに修復工事中でした。
 「大元帥」のはずなのに、「大元師」と書かれているという扁額
 国道4号を南下し、11時に岩沼の竹駒神社に到着しました。日本三稲荷のひとつだそうです。承和9年(842)に奥州鎮護を祈願し創建されたそうで、向唐門や随身門など桃山建築の粋といえるそうです。
 司馬さんもは「桃山風の建築に接したければ仙台へゆけといいたい」とまで記しています。
 貞山堀に12時
 子供の頃に遊んだ記憶がありますが、伊達政宗が仙台米を水上輸送するために掘った人工の運河とは知りませんでした。その長さは47km。司馬さんも「長大な遺跡」と評しています。
 仙台東部道路という便利な有料道路のおかげで13時前に多賀城に着くことが出来ました。
 はじめに多賀城政庁跡近くに立つ壺の碑へ。
 近づくとボランティアガイドの方が詳しく説明してくれました。
 堂宇の中の碑は高さが約2m。
 奈良朝のころ建てられたとされ、群馬県の多胡碑、栃木県の那須国造碑とともに日本三古碑の一つだそうです。

 京ヲ去ル一千五百里 蝦夷国界ヲ去ル一百廿里 常陸国界ヲ去ル四百十二里 下野国界ヲ去ル二百七十四里 靺鞨国界ヲ去ル三千里
 多賀城は、724年に北の蝦夷に対する防衛拠点として、また奥州の鎮所として気づかれました。政治的軍事的拠点であった政庁跡の遺跡は広大で、100m四方の堂々たる規模だったそうです。
 塩釜の「御釜神社」
 塩釜の中心部、一方通行の商店街のなかにありました。塩竈の名前の由来となった、製塩に用いた大鉄釜が安置されています。
 オカマサマ
 4つの大きな鋳物(直径180cm)の釜が埋まっていました。ご神体のため撮影禁止なので、パンフレットに載っていたものを借用しています。
 松島
 塩釜から松島へ国道45号を走ろうとしてらカーナビに渋滞マーク。松島パノラマラインで迂回しました。展望台から松島を見おろすことができて大正解。
 瑞巌寺や五大堂を見てまわり、松島を出発したのが17時になっちゃいました。
 明るいうちに石巻に着きたいと思い、三陸自動車道を東へ走りました。
 石巻湊を見下ろす日和山の丘上に着いたのは17時30分。駐車場に車を停めて展望台に立つと、眼下に北上川がゆったりとながれていました。
 暗くなってから石巻を出発し、仙台に戻りました。
 夕食は大好きな牛タン。
⇒NEXT : 因幡・伯耆のみち