島原・天草の諸道 天草
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 14時に島原半島の口之津からフェリーに乗船し、30分で天草の鬼池に入港しました。
 鬼池といえば「島原の子守唄」に出てくる「人買いの久助どん」を思い出しますが、なんとなく殺風景な感じがしたので、そのまま本渡を目指しました。
 本渡には仕事で来たことはあったのですが、じっくり訪れるのは初めてです。まず殉教公園に登ると本渡の市街地が見おろせました。
 踏み絵

 殉教公園にある本渡市立天草切支丹館へ。キリスト教の伝来から徳川幕府による禁教、隠れ切支丹の弾圧や天草の乱など史料が豊富でした。
 写真は踏み絵。はじめのうちは聖画を踏絵に使っていたそうですが、すぐに痛むので銅牌を板に嵌め込んだ専用のものがつくられたそうです。
 明徳寺

 切支丹館のある高台の続きにある明徳寺へ。
 天草・島原の乱後、混乱した天草島民の心を平定し、仏教を広める目的で建てられたといいます。
 明徳寺の石段

 石段のあちこちに十字架が刻まれ、踏みつけるようにして明徳寺に登っていく仕組みになっていたといいます。司馬さんも
【切支丹禁制時代の凄味といっていい】と記していますが、モルタルで補修されていて、よくわかりませんでした。
 延慶寺
 延慶寺の兜梅

 樹齢500年以上の古梅は可憐な花を咲かせていました。訪れたのが3月だったのですが、ピークの時はとてもみごとなのだそうです。
 富岡城趾

 本渡から苓北町へは海沿いに国道324号が走っています。前回は海を右手に走ったのですが、今回は広域農道で天草下島の山塊を横断しました。

 砂嘴の突端にある富岡城址。前回訪れた時は何もなかったように記憶しているのですが、今回は復元工事が進められていました。
 頼山陽の碑

 砂州の中の一本道に頼山陽の詠んだ漢詩の碑が建っていました。

  
雲耶山耶呉耶越水天髣髴青一髪
  萬里泊舟天草洋煙横篷窓日漸没
  瞥見大魚波間躍太白當船明似月
 勝海舟の落書き

 鎮道寺にあるというので訪ねてみました。本堂の中らしいので勝手に上がっていいものか躊躇しましたが、声をかけると気軽に上げてくれました。

  日本海軍指揮官 勝麟太郎

 薄くなってはっきりはわかりませんでしたが、日本海軍なんて無い時代に落書きしたと思うと、勝海舟の人柄が伺えます。
 鎮道寺の裏山が墓地になっていて、登ってみると、下島の本土からのびている砂州と富岡の街がよく見渡せました。司馬さんが方向感覚を失って、どちらが天草灘か有明海かわからなくなったという景色です。正解は右が天草灘、左が有明海。
 富岡から国道389号を南下。右手には天草灘が広がっています。
 大江天主堂

 切支丹禁制が解けたのは明治6年。それまでの間、信者は隠れ切支丹として信仰を守ってきたそうです。大江の天主堂は昭和8年に完成したもの。
 崎津の町と天主堂

 禁教令以後、祭壇のある場所で厳しい踏絵が毎年行われていたそうです。
 切支丹の人々の純粋な信仰が心を打ちますが、一方で、キリスト教布教の目的が植民地政策だったことを考えると複雑です。
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