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豊後日田街道 |
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11月3日、福岡空港でレンタカーを借り、大分自動車道へ湯布院を目指しました。
昼過ぎに湯布院に着いたときは雨があがったばかりだったのですが、散策しているうちに晴れ間が広がり、やがて青空が広がりました。
展望台として有名な狭霧台から湯布院を見おろすのが定番です。いちおう行ってみたのですが、街は眼下にひろがっていますがシンボルである由布岳は真横に位置していて一つの構図には収まりません。やまなみハイウェイ(県道11号)を東に下ってみたら、由布岳と街を正面から見下ろすポイントに出会えました。
朝になると狭霧台から朝霧に沈む湯布院の街を見ることができるそうなので、翌朝また来ることにします。今日は耶馬溪へ行って石橋を見ることにし、いったん湯布院を離れました。 |
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別府で泊り、明治12年創業という竹瓦温泉で朝湯に入ってから湯布院を再訪しました。
別府から30分ほどで再び狭霧台に到着。今朝はかなり冷え込んだせいか、イメージ通り朝霧に沈んだ湯布院の街を見下ろすことが出来ました。
金鱗湖脇の駐車場に車を停めて湖畔に立つと、暖かい池から霧というか水蒸気が立ち上っていて、幻想的な雰囲気でした。 |
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司馬さんが「ふしぎな宿にとまった」という書き出しで、かなりのページを割いている亀の井別荘。一万坪という松や杉の自然林のなかに離れが点在しています。いつかはゆっくりと泊りたいなぁです。 |
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亀の井別荘の中にある茶房「天井桟敷」
江戸末期の造り酒屋の屋根裏を改造した建物だそうです。酒樽の底を利用したという「街道をゆく」で有名な丸テーブルが現役で使われていました。 |
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湯布院をあとに、やまなみハイウェイを走って長者原へ。
「大分県へゆくと日本は狭い国という既成概念が崩れてしまう」と書いてありますが、そのとおりに感じました。
須田画伯が見つけたというゲーロッパに興味があったのですが、そもそも正式になんという草なのか、よくわからなかったので探せませんでした。
長者原からは牧の戸峠を越えて豊後竹田に向かい、さらに高千穂まで足を伸ばして別府に戻りました。 |
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翌朝、別府から大分自動車道を西へ走り、玖珠ICで降りて三島公園へ。童話碑というとても大きな碑が建っています。久留島陣屋跡と書かれた木柱が立ち、山側には枯山水の庭園も残されていました。 |
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1587年、薩摩島津藩が角牟礼城を攻略した際、6000人の薩摩兵を森藩は1000人で追い返したといいます。三島公園から山上にある角牟礼城を見あげると、いかにも「難攻不落」といった趣きがありますが、案内板によると、林道が通じているようです。案内に従って登っていくと三の丸まで登ることが出来ました。
駐車場から登るとすぐに石垣が築かれています。本丸まで登ってみると、往時の面影は石垣くらいでしたが、九重連山を遠くに見渡すことが出来、雄大な気分になることができました。 |
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天領日田へ。玖珠から高速を利用したので30分ほどで移動することができました。町並みが素晴らしい豆田地区にある天領日田資料館で天領時代の町人文化や豪商、広瀬淡窓の思想について少しお勉強しました。 |
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続いて咸宜園へ。
幕末の儒学者・広瀬淡窓が開いた私塾で、門下生の中には高野長英や大村益次郎の名も見られます。全国各藩から集まった4800人の門下生は、近代日本の礎となったと言われています。
ということがもっと宣伝されてもいいのになぁと思うほど、ガイドブックでの扱いはあっさりです。現地も史跡としては、あっさりした感じがしました。 |
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三隈川に屋形船が浮かぶ夜の鵜飼が日田のイメージです。5月下旬から10月に訪れると、灯りをともした幻想的な風景が見られると聞いています。その時期に訪れようと計画していたのですが、秋台風のせいで計画が流れてしまいました。またチャレンジしたいと思います。
日田からは城下町秋月へと向かいました。 |
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