本所深川散歩
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 門前仲町から両国界隈にかけてまわりました。
 まずは地下鉄東西線の門前仲町駅すぐの深川不動尊へ。
 将軍綱吉の母が成田山を江戸で参拝したいと言い出したため、成田から江戸までご本尊が運ばれたのが深川不動堂の起りだそうです。
 続いて富岡八幡宮へ。
 寛永4年に幕府の許可をえて創建された江戸最大の八幡様だそうです。その後、木場が日本橋から移ったこともあり、深川はおおいに賑わったそうです。
 江戸時代にトラブルが多く禁令の出されていた相撲が、富岡八幡の境内で春と秋だけ許されたのが、現在の大相撲の始まりだとか。大きな横綱力士碑が建っていました。
 門前仲町の交差点から両国の方へ進み、清澄庭園近くに霊厳寺があります。
 
「寛政の改革」で江戸の窮民救済を行った白河候松平定信の墓があります。そのため、いまも町域が白河といいます。
 地下鉄の駅名も清澄白河。
 永代橋は元禄11年に上野寛永寺の本堂に使われていた材木を使って架けられたそうです。
 永代橋で有名なのが、深川八幡のお祭の時に欄干が崩れたという大惨事。その後、何度も架替えが行われ、明治30)年に日本で初めての道路の鉄橋になりました。
 関東大震災で大きな被害を受けたため大正15年に現在の橋に架け替えられました。
 佃島の夕景と屋形船が綺麗でした。
 深川はもともと下総国で、江戸とは隅田川をへだてて別の国でした。
 寛文元年に橋が架けられたとき、下総と武蔵の国をつなぐというので両国橋という名前になりました。
 吉良邸の屋敷跡が残っています。ナマコ壁に囲まれた小さなスペースですが、都会の真ん中でここの一角だけが当時の雰囲気を感じさせてくれます。
 両国橋近くに回向院というお寺があります。明暦3年に江戸大火「振袖火事」が発生し、十万人以上の焼死者という惨事がおきました。将軍家綱は、死者を弔うために、この寺を建立したそうです。
 境内の奥に「鼠小僧の墓」もありました。
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