本郷界隈
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 8月6日、地下鉄大江戸線に乗って本郷3丁目へ。
 交叉点の角にある「かねやす」は享保年間に開かれ、今で言う歯磨き粉を売っていたといいます。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」
 本郷3丁目から春日通りを西へ進み、路地を左へ折れると見上げるばかりの大楠の木が繁っています。
 マンションの1階は楠亭というフランス料理の店で、司馬さんたちも立ち寄ったそうです。
 大楠の木は樹齢600年を超えるそうです。
 春日通りを北へ横断して炭団坂へ。
 炭団坂の頂上には坪内逍遥旧宅跡の碑が建っていました。後には正岡子規も住んでいたそうです。
 炭団坂を下ると、下町の風情が漂っています。
 樋口一葉の菊坂旧居跡には懐かしいポンプ式の井戸もありました。
 本郷通りに戻り、東京大学の赤門へ。
 加賀藩前田家、加賀屋敷の御主殿門です。
 東大の構内を散策し、三四郎池へ。構内のほぼ中央にある三四郎池は、当時の大名屋敷のなかで江戸随一の名園といわれた加賀屋敷の名園で、育徳園心字池と名付けられました。
 弥生坂を登りきった角にある「弥生式土器発見の碑」
 東京大学農学部の正門脇に建つ「朱舜水先生終焉之地」の碑。朱舜水は明の儒学者で、明朝の滅亡後、長崎に亡命。水戸の徳川光圀に招かれ、広範な知識を藩内に教え、伝えました。
 朱舜水といえば小石川後楽園の円月橋が印象に残ってます。→
 東大農学部から日本医科大学方面に歩くと、日本医科大学同窓会館の敷地に夏目漱石の旧居跡の碑がありました。
 ここは漱石が移り住む11年前には森鴎外が1年ほど住んでいたそうで、同窓会館内には鴎外の展示がされていました。
 藪下の道を散策しながら南に戻って根津神社へ。
 1706年に徳川5代将軍綱吉が造営した社殿は豪華な権現造りです。資料によると江戸の神社建築としては最大規模のものなんだそうです。近所でありながら気にしたことが無かったなぁ。
 この日も東京は30℃を軽く超え、暑さで少しへばってきたので根津から一駅だけでも地下鉄に。というわけで千代田線を湯島で降りて旧岩崎邸を訪ねました。
 岩崎弥太郎の長男、岩崎久彌がニコライ堂など手がけた建築家ジョサイア・コンドルに依頼し明治29に建てられました。
 司馬さんたちが訪れた1991年は最高裁判所研修所として使われていましたが、2003年4月からは東京都管理となり一般公開されています。
 学問の神様・菅原道真公を祀る湯島天神。男坂あるいは女坂を登った高台にあり、新派の記念碑や鏡花の筆塚もありました。
 本殿は平成7年の新しく造営されたものだそうです。このとき都心の真ん中に木造の社寺仏閣を建てるということで話題になったそうです。
 御茶ノ水駅近く、順天堂大学の裏手高台にある本郷給水所公苑。訪れた目的は江戸時代の上水道である神田上水石樋なる遺構です。天正18年(1590年)に、家康は江戸入府に先立ち、井の頭池と善福寺池、妙正寺池を水源とする神田上水を整備しました。日本最古の都市水道といわれています。
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