波照間島
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 街道をゆく「先島のみち」の旅のなかでは、司馬さんは波照間島までは足をのばしていません。
 でも、「できれば波照間島などにも行ってみたいと思った。さらに波照間島よりも南にあってまぼろしの島といわれる南波照間島まで行きたい(むろん存在すればだが)」と記しています。

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 日本最南端の碑
 高那崎に建っています。この先は幻の南波照間島・・・。現実には遥か彼方にフィリピン。
 高那
 波照間島の南東側は15mくらいの断崖になっていて、男性的な風景が続きます。白い波が打ち寄せては砕けていました。
 八重山の英雄、オヤケアカハチ誕生の屋敷跡。島の集落中心近くにありました。
 コート(火番)
「旧藩時代の火番所 海上の船舶の通報のために狼煙を揚げた」と記されていました。
 異変が起きたときは西表島に伝わるためだそうです。
 ニシ浜

 【波照間島へどのようにして行けばよいかをきいてみた。すると彼女は急に眠ったような埴輪みたいな表情に化って、「それはね」と勿体をつけ、「ハテルマ、ハテルマと言うてゆくのよう」といった。】
 印象に残る一節です。
 ペー浜(南の浜)
 ニシ浜がどちらかというと島のメインビーチですが、ペー浜はその南にあります。僕はこちらの浜の方がお気に入りです。空と海以外は何も無いです。
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